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国の重大事があれば中露へ…金日成・金正日も「特別列車外交」

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2018.03.28 09:51
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金日成(キム・イルソン)と金正日(キム・ジョンイル)はたびたび「列車外交」を行った。金日成は解放から1994年に死亡する時まで、特別列車で中露を訪問して難題を解決しようとした。時には中露の葛藤を利用して国益を巧みに得ることもあった。金日成は50年以降、中国を25回、ロシアを4回を訪問した。その目的は両国関係、国際情勢の変化、経済支援などだった。金日成は中国から3回、裏切られることもあった。ニクソン訪中(72年)、トウ小平の改革・開放(78年)、韓中修交(92年)などだ。中国から裏切られたと判断した時は訪中してこれに回答を迫り、結局さらなる経済支援を引き出すこともあった。

この伝統は金正日にもそっくり継承された。金正日は94年に最高指導者になってから、特別列車に乗って中国を7回、ロシアを3回訪問した。南北首脳会談など国の重大事があれば中露を訪れた。特別列車は完全な防弾空間で執務室と食堂が完備されているうえ、世界各国のテレビを受信したりインターネットも使ったりすることができるという。

金正日は父の金日成時代の延長線で、韓日米に対抗する朝中露の三角同盟を維持しようとした。2度の南北首脳会談、米国との94年ジュネーブ合意、2000年米朝共同コミュニケを締結したが、韓米の政権交替で白紙に戻った。日本の小泉純一郎首相とも首脳会談を行ったが、これさえも失敗に終わった。結局、信じられるのは中国とロシアしかなかった。

 
金正日は中露訪問に特別列車を利用した。金正日が列車を好んだのは安全問題のためだというのが通説だ。列車は長いため、どの車両に乗っているかを正確に知らなければ外部から精密打撃するのは難しい。したがって彼らは飛行機よりも列車が相対的に安全だと判断している。

金正日は「中国を信じることはできない」と言いながらも中国に依存した。韓国が2010年5月に北朝鮮に対する制裁措置を発表したことで南北関係がふさがってしまい、脱出口として中国を選んだ。そして金正日は2010年に2回、2011年に1回と集中的に中国を訪れた。中国との貿易量が全体の90%を越える水準まで高まった。そのため東北第4省になるのではないかとの懸念も出たが他に道がなかった。金正日は2008年8月に脳卒中で倒れ、後継者問題をめぐって北朝鮮の未来を中国と相談しないわけにはいかなかった。

金正恩(キム・ジョンウン)労働党委員長が26日、かつて金正日が乗った特別列車と推定される列車に乗って中国北京を訪れた。この特別列車は北朝鮮錦繻山(クムスサン)太陽宮殿にある金正日の特別列車客車と外観は似ているが、差異点もある。金正日が乗った特別列車の列車外壁には金色の帯が1本引かれていたが、日本テレビが公開したものは金色の帯が2本だ。情報当局は金正日が乗った特別列車が数台あることを把握している。

金正恩の今回の訪中で、ギクシャクしていた中朝関係がすぐに変化すると期待するのはまだ早い。中国は突然の南北、米朝首脳会談で対北朝鮮政策が混乱しているはずだ。制裁を緩和すれば国際社会からの非難を甘受せざるを得なくなり、維持すれば中朝関係は悪化するからだ。したがって、中国は金正恩との会談で、今後続く首脳会談に対する北朝鮮の立場を聞いた可能性が高い。慶南(キョンナム)大学のイム・ウルチュル教授は「中国の制裁緩和は米朝首脳会談の結果を見て決めるものと予想される」と明らかにした。

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    国の重大事があれば中露へ…金日成・金正日も「特別列車外交」

    2018.03.28 09:51
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    金正日総書記(左)が1989年11月、中国を訪問する金日成当時主席(右)の特別列車に乗って歓送している。80年代後半以降、金日成主席は外交、金正日委員長は内政を主に担当した。(写真=中央フォト)
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