<フィギュア>キム・ヨナVS浅田真央、ライバル時代を覚える(1)

<フィギュア>キム・ヨナVS浅田真央、ライバル時代を覚える(1)

2017年04月13日13時42分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]
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2004年、ジュニアグランプリファイナルで初めて会ったキム・ヨナ(前)と浅田真央。2人の時代は浅田の引退とともに思い出に残ることになった。(写真=中央フォト)
  「どうして、よりによってあの子が私と同じ時代に生まれただろうか」

  「フィギュアの女王」キム・ヨナは自伝『キム・ヨナの7分ドラマ~20歳キム・ヨナ、その情熱と挑戦の記録』で浅田真央に関してこのように嘆いたことがあると告白した。諸葛亮の知略を羨ましがっていた周瑜が「天はなぜ私を産み、また諸葛亮を産んだのか」と嘆いた場面が思い出す。同時代に生まれたことを嘆いた側がキム・ヨナ(1990年9月5日生まれ)だけだっただろうか。浅田(1990年9月25日生まれ)も同様に嘆いたのではないだろうか。

  同じ年のフィギュアスケーターのキム・ヨナと浅田は、ジュニア時代からキム・ヨナが引退した2014年までいつもライバルと認識されてきた。韓国と日本を代表するフィギュア選手、165センチに若干足りない身長、長くて細い腕と脚など体格まで2人は多くの部分が似ていた。優れた実力と美貌で子どもの時から注目されていた2人の選手はいつも比較されながら競争した。ジュニア時代には、キム・ヨナが浅田を追い上げる立場だったが、シニアデビュー後には逆の立場になった。

  2人が初めて出会った大会は2004年12月、フィンランド・ヘルシンキで開かれたジュニアグランプリファイナルだ。12歳の時、すでにトリプルアクセル(3.5回転)を成功させていた浅田は、計172.83点でキム・ヨナ(137.75点)と大きく差をつけた。14歳の浅田はキム・ヨナにとっては越えられない壁だった。キム・ヨナは自伝でこのように告白した。「練習の時も真央はほんの少しの迷いもなく、あまりにも軽くジャンプを成功させた。トリプルアクセルも失敗する姿がほとんど見られなかった。『世の中にあんな子がいるんだ』と考えた」。

  ジュニア初のシーズン(2004~2005年シーズン)、浅田はすべての大会でキム・ヨナをリードしていた。2人は出発線から異なっていた。浅田は150億ウォン(約14億3491万円)の専用リンクで一人で思う存分訓練をするほど、日本各界の支援を受けた。一方、キム・ヨナは遊園地のアイスリンクで人がいない明け方や夜中に訓練をした。差が開くしかなかった。

  時間が経つほど差は縮まった。王座を守ろうとする浅田とその後を追いかけるキム・ヨナの中で負担がより大きかったのは浅田の方だった。キム・ヨナは、訓練地をカナダに移した後、正確な技術と繊細な表現力を見せる方に焦点を合わせた。トリプルアクセルの代わりに他のジャンプをもっと完ぺきに駆使することに力を注いだ。その結果、キム・ヨナはフィギュアジャンプの見本になった。

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