日本で公開された百済金銅観音菩薩立像 「最も美しい微笑み」

日本で公開された百済金銅観音菩薩立像 「最も美しい微笑み」

2018年06月05日14時16分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]
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1907年忠清南道扶余郡窺岩面で発見されたのち日本に持ち込まれ、今回100年ぶりに公開された百済金銅観音菩薩立像。(写真提供=文化遺産回復財団)
  百済7世紀を代表する「最も美しい菩薩像」といわれる金銅観音菩薩立像が100年ぶりに姿を現した。韓国の文化遺産回復財団〔理事長・李相根(イ・サングン)〕はこの観音像を所蔵してきた日本のある企業家が昨年12月、東京を訪問した韓国美術史学会の崔應天(チェ・ウンチョン)東国(トングク)大学教授、チョン・ウヌ東亜(トンア)大学教授に仏像を公開したと4日、明らかにした。

  チョン・ウヌ教授が仏像を実見した後に書いた意見書によると、1907年忠清南道扶余郡窺岩面(チュンチョンナムド・プヨグン・キュアムミョン)で農夫によって鉄釜が見つかった。中から仏像2体が見つかり、すぐに日帝憲兵隊によって押収されたという。見つかった金銅菩薩立像1体は1950年ごろソウル国立博物館に帰属し、現在は国宝293号に指定されている。

  もう1体は1922年に大邱(テグ)の日本人医師、市田次郎が購入し、その後日本に持ち込まれた。この菩薩像こそが今回100年ぶりに公開された金銅観音菩薩立像(窺岩面出土)だ。

  チョン教授は「流れるような天衣、力みのないの三谷の優雅な姿勢、微笑みを浮かべた慈愛に満ちた表情と優雅な雰囲気は比較するべき対象がないほどで、美の精髄を見せている」と評した。このような特徴のため、この菩薩像は姿を消してから100年が過ぎてモノクロ写真1枚だけが残っていて、仏教彫刻概説書をはじめとする専門書籍には「この時代を代表する文化財」と記されていた。

  崔教授は、仏像の胸元部分の帯装飾に見られる雲あるいは唐草模様が連続して現れた部分について、このような模様は百済金銅大香炉の火屋(蓋)と炉の間にある装飾文様と同一であることをつきとめた。

  また、仏像の裏面については、他の三国時代の仏像は平面的か中途半端な仕上がりになっていることが多いなか、この仏像は珍しく後姿の服のシワの陰影や本体の屈曲にまで丁寧に手が入れられている点も注目されると伝えた。

  このように美しい金銅観音菩薩立像がこれまで世の中に公開されなかったのは、市田次郎の遺言のためだ。

  三国時代の金属工芸品、陶磁器、仏像などを収集した大物古美術所蔵者の市田は、韓国戦争(朝鮮戦争)前に多くの文化財を大邱から日本に持ち帰ったという。市田は生前、「所蔵したすべての遺物は出品・売買をしてもよいが、この金銅菩薩立像だけはだめだ」と子孫に遺言を残したと伝えられている。

  現在、日本に残されている韓国の仏像約150余体のうち、国籍および出土場所、移転の経緯や所蔵内訳が正確に伝えられている仏像はこの金銅観音菩薩立像が唯一だ。

  これをもとに、百済金銅観音菩薩立像の価値は国宝金銅半跏思惟像と百済金銅大香炉の展示保険価額である300億~500億ウォン(約31億~51億円)台に匹敵する価値を持っていると推定される。

  チョン教授は「現在、歳月や保管場所および環境による腐食が進行していて、できるだけ早く還収して保存処理をしなければならない」と判断した。

  文化遺産回復財団の李相根理事長は「今回、所蔵者が苦心の末に韓国学界に公開した以上、仏像が戻ってこられる絶好の機会が用意されたといえる」としながら「財団に関与している国会議員、仏像出土地の忠清南道などと話し合い、仏像の故国帰還のための協議体を設ける考えだ」と明らかにした。
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