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議員時代は柔軟、就任後は…日本を眺める朴大統領の目(1)

ⓒ韓国経済新聞/中央日報日本語版2013.08.13 17:15
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「独島(ドクト、日本名・竹島)は大韓民国の領土ではないですか」。2006年3月、朴槿恵(パク・クネ)ハンナラ党代表は日本を訪問した。日本の記者が「竹島問題をどう考えるか」と尋ねると、すぐに朴代表はこのように問い返した。「独島は明白に韓国の領土だから無駄な質問をするな」というメッセージを独特の反問方法で投じたのだ。

小泉純一郎日本首相に会った際も、「日本の指導者は言動に気をつけて韓国に配慮するべきだ」と直接的に要求した。しかし「両国間の政治的な冷え込みが放置されれば、双方に望ましくないだけに、早期に改善されるべきだという点には、日本側と認識が同じ」と明らかにした。2カ月後にはソウルで日本人拉致被害者家族連絡会代表の横田滋氏と会い、日本の最大の懸案である拉致問題に関心を表明した。

 
議員時代(1998-2012年)の朴大統領の対日外交はこのように柔軟な方だった。次期大統領に決まった後も日本に配慮した。業務引き継ぎ委員会の執務室に初めて出勤した1月4日、最初の公式日程は安倍晋三日本首相が送った特使団との面会だった。朴大統領は特使団に対し、「06年の訪日当時、官房長官だった安倍首相と夕食を一緒にし、良い対話をしたことを思い出す」と述べた。

朴大統領と安倍首相の縁はほかにもある。2006年5月に朴大統領が地方選挙の遊説中にカッターの刃で襲われると、安倍氏は10日後、神戸産高級牛肉と高級菓子を伝えた。「日本では手術を受けた人が早く回復するために牛肉を食べる。他の人に渡さずに食べてほしい」という内容の手紙と一緒にだ。朴大統領は後日、感謝の意を込めて手紙を返した。

朴大統領は2代にわたり首相を輩出した福田家(赴夫・康夫)とも特別な関係を持つ。朴正熙(パク・ジョンヒ)元大統領が1977年にソウルで父・福田赳夫元首相と会談したのが契機となった。朴大統領は当時、ファーストレディ資格で福田三枝夫人を出迎えて親しくなり、その後30年間、安否を問う関係を維持してきた。朴大統領は06年に日本を訪問した際、忙しい日程にもかかわらず、東京世田谷にある福田三枝夫人の自宅を訪問して1時間ほど会った。1年後に首相となった息子の福田康夫氏も同席していた。

朴大統領は就任直後の今年2月26日、ソウルを訪問した福田康夫元首相と会談し、「青瓦台(チョンワデ、大統領府)にいた頃から縁がある。大切に考えている」と述べた。与党の関係者は「福田赳夫元首相は在任当時、韓日関係の重要性を強調した“福田ドクトリン”を発表し、息子の福田康夫元首相もその意志を引き継いで靖国神社を参拝しないと宣言した」とし「朴大統領が福田家と親交が深いのはこうした背景のため」と話した。

◆7年前に安倍氏に投じたメッセージを再演

朴大統領の対日外交が停滞したのは、就任式の日の2月25日、祝賀使節として来た麻生太郎副総理兼財務相の妄言が決定的だったと、外交関係者は話す。麻生副総理は朴大統領と会った席で、「米国では南北戦争を見る視点が今でも南部と北部で大きな差があり、韓日関係も同じ」という詭弁を弄した。駐日大使を務めた元外交官は「朴大統領就任の日に日本政府を代表する麻生副総理が面前で妄言を吐き、大統領の対日外交の幅を大きく狭めた」と指摘した。

その後も日本政治家の妄言が続き、朴大統領の発言の程度も高まった。就任後の最初の三一節(独立運動記念日)の演説で、朴大統領は「加害者と被害者という歴史的立場は千年の歴史が流れても変わらない」と述べた。この言葉は、06年に日本を訪問した朴大統領が当時の安倍官房長官にした発言と同じで、安倍首相に直接投じたメッセージだという解釈があった。また、朴大統領は韓米・韓中首脳会談を行ったが、韓日首脳会談はいつするか決まっていない状態だ。

(中央SUNDAY第335号)


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    2013.08.13 17:15
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    04年、ハンナラ党代表だった朴槿恵大統領(右)が自民党幹事長の資格で訪韓した安倍氏と会談している。[中央フォト]
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