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【旅行】日本の九州の陶磁器、名所探訪(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2015.11.27 16:50
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有田の大川内山にある陶工無縁古塔。朝鮮陶工800人余りを祀った碑石が塔のように積まれている。
日本磁器の始祖、いや陶磁の神としてあがめられる李参平(?~1655)の最大の業績がまさに優秀なカオリンの鉱山を発見したことだ。その鉱山がある地域が有田だ。李参平は原石を探して数年間さ迷った末、1616年頃に有田の泉山でカオリンの鉱山を見つけ出した。その現場が日本の国指定史跡にされて保全されている。

驚くべき風景だった。巨大な山ひとつがまるごと掘り返されていた。400年の歳月で山ひとつが消えたのだった。その現場で李参平の14代目に会った。名刺には「14代金ヶ江三兵衛」と記されていた。金ヶ江三兵衛は、李参平が日本でもらった名前だ。その名前を子孫が継いでいた。14代目の李参平は間違いなく韓国人のおじさんの人相だった。

 
日本で李参平は神のような存在であった。鉱山を守る神社があり、初代李参平をまつる神社が別にあった。しかし、ひたすらに良いことばかりではなかった。李参平窯は200年間にわたり脈が途絶えて71年、13代目によって再び開かれた。伝統が断絶した李参平窯は現在、日本の陶磁市場から敬遠されている状況だ。日本の皇室に献上する窯として有名な柿右衛門一族の工房に立ち寄った時は、その華やかな色と途方もない価格の前に劣等感まで込み上げてきた。

◆生と死-伊万里と加唐島

伊万里では大川内山を訪ねた。名前が意味深長だ。山の中の大きな川だという。実際に大川内山は名前のように生まれた。町の前を小川が流れ、窯と陶磁器店でいっぱいの町の裏側に幾重にも山が見える。

朝鮮から李参平を連れてきた人物が鍋島直茂(1536~1618)だ。彼は朝鮮陶工たちをこのひっそりとした山中に連れてきて、外部との接触を一切遮断したまま陶磁器だけを作らせた。ここで生産した陶磁器は全て日本の皇室に献上された。それでこの町の別称が秘窯の村、すなわち秘密の窯がある地域だ。現在、大川内山には30を超える窯があり、鍋島は世界的な陶磁器ブランドになった。

大川内山に行ったら必ず立ち寄らなければならない所がある。町側の山のふもとに共同墓地があり、ここに朝鮮陶工800人余りを祀った「陶工無縁古塔」がある。町のあちこちにうち捨てられた朝鮮陶工の墓が痛ましくて、1939年に地元住民たちが碑石を1カ所に集めて塔を積んだのだという。

旅程はかけ離れているが、(唐津)近海の加唐島をここで紹介したい。唐津の呼子港から船で20分ほどの距離にある加唐島は、百済武寧(ムリョン)王(462~523)が生まれた場所として伝えられる。島の西側海岸の「オビヤ浦」という小さな洞窟で武寧王が生まれたという。島民の福本英樹さん(65)は「幼いころ、ここで韓国の偉い人が生まれたという話を聞いた」と記憶していた。武寧王の日本誕生説の話は日本で最初の歴史書物『日本書紀』に登場する。伝説だと思っていたが、忠清南道(チュンチョンナムド)の公州(コンジュ)にある武寧王陵を発掘した後、歴史的事実に一歩近づいた。武寧王の木棺が、日本だけにある高野槇(コウヤマキ)でできていたのだ。加唐島は今回の旅行で唯一遭遇した「生」の跡だった。


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