【コラム】解放と共存=韓国(2)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2013.08.13 15:33
その間、河野談話のような歴史正常化の努力がなかったわけではない。ところが1970年代末、日本はしばらく自制していた歴史的な孤立感をまた表した。「日本よ、軍隊を保有する国になろう!」と。原爆の被害があまりにも大きかったため、敗戦国の日本は加害者でないことを公言した。「終戦の詔勅」で天皇はこのように古語で読み上げた。「敵は新たに残虐な爆弾を使用して、無辜の非戦闘員を殺害傷害し、その悲惨な損害は本当に人間の考えの及ばない程である。(中略)ついには我が民族の滅亡を招くだけでなく、ひいては人類の文明をも破滅しかねないであろう」と。そこには36年間にわたり朝鮮を踏みにじった記憶はなかった。懺悔ではなく願望だった。最近の日本軍国主義勢力が抱いた幻想はここから出てきた。「人類の文明を破滅」する敵を打ち破ろうとすれば、「ナチスからも学ぶことがある」と。まさに「狂炎ソナタ」だ。
スウェーデンはしばらくデンマークの冷遇と英国の植民統治を経験し、ドイツの侵攻をなんとか防いだ。それでも欧州共同体の一員になり、国境を開いた。最大の加害者ドイツの反省があったからこそ可能なことだった。日本が謝罪できない理由は、中心国になれなかった挫折感と原爆被害意識のためだ。その挫折感と被害意識の影で、日本は自分たちが踏みにじった韓国を見ることができない。