在日韓国人漫画家・鄭玖美さん「韓日双方に属した中間者」(2)
しかし「民族学校」に通った中学生時代を混乱なしに過ごすことはできなかった。歴史は、「原爆投下の後、戦争が終わったから平和に生きよう」というのがほぼすべてだった日本人学校の教育内容とは異なった。
修学旅行で慶州(キョンジュ)を訪れた際、韓国人生徒から「半分は日本人」と言われてからは複雑な気持ちになった。高校を卒業すれば無条件に韓国へ行ってしまおうと思ったこともある。その度に母は「日本人は嫌い」と話す娘を慰め、祖母は「大学に通って日本の社会を学ぶ必要がある」と説得した。