주요 기사 바로가기

<囲碁>李昌鎬、囲碁人生22年を語る

2008.01.04 14:58
0



李昌鎬(イ・チャンホ)時代はまた来るだろうか。この質問に李昌鎬九段は何秒か沈黙し、低い声で笑った。久しぶりに聞く李昌鎬の軽快な笑い声。11歳でプロになり、22年の歳月が過ぎ去った。李昌鎬九段の年はもう33歳。どれだけ多くの神話と伝説が“本物の第一人者”とたたえられたこの人から作られたことか。2008年、新年を迎え、まず李昌鎬九段の話を聞きたかった。“李昌鎬”を夢見て育った囲碁少年と囲碁少女たちに彼がしてあげたい話は何か。囲碁は彼の人生において何なのか。彼の時代はまた来るのか…。結婚と李セドル九段については問わなかった。結婚はしたかったから、李セドル九段が最強だという答えを何度も聞かされたからだ。

 
--プロ入団時(11歳)を覚えているか。この時が囲碁を職業として選択した年だ。囲碁に打ち込むようになった動機は。

「囲碁には自然に落ちこんだ。入団したときは非常にうれしかった。漠然としていたが、囲碁と一生をともにするという感じはあった」

--当時、李昌鎬九段は言わば“子供”だった。しかし初年度は8勝。翌年から44勝-75勝-84勝-91勝と果てしなく駆け上がる。“負けない少年”“記録製造機”“宇宙人”“神算”など多いニックネームが付いてきた。

「ある記憶は鮮明で、ある記憶はぼんやりしているが、アイスキャンディの話はよく知らない」(朝にアイスキャンディをくわえてやってきて、夕方にはタイトルを持って行く少年のこと。そのことから日本をはじめとした多くの棋士が囲碁とは何かという根本的な懐疑に陥った)

--それから22年の歳月が経った。李昌鎬九段は囲碁を通じて多くの神話と伝説を残した。李九段の人生で囲碁とは何か。

「幼いころは負けてトイレで泣いたこともかなりあった。成人してからはお酒を飲んだりもした。うれしい記憶も痛い記憶もそれぞれ多いが、囲碁を厄介に感じることは1度もなかった。その質問…私の人生で囲碁とは何なのかに対しては…後で電話で話します」(優勝134回。ほとんどすべての記録を塗り替え、国内記事では年間賞金10億ウォンを初めて超えた。何より李昌鎬の驚くべき点は、自分の幾多の敵手から満場一致の“第一人者”と仰がれ、同時に心から尊敬されているという点だろう。囲碁だけではなく政治やスポーツ、どこにも見られない本物の第一人者だった。しかし李九段は囲碁と人生という質問を照れくさく思ったのか、ではなければまだ考え中なのか、以後、連絡はなかった)

--韓国はもちろん世界各国で“李昌鎬”を見て子供たちが育ってきている。彼らにしてあげたい言葉があれば。

「自分の好きなことをすることは幸せなことで、それを楽しむことができたらもっと幸せだと思う。ただ、頭をたくさん使う人は体力も必ず鍛えなくてはならない。同じく体力をたくさん使う運動選手も頭を使うことを勧めたい。調和が重要だということがちょっと遅くなってからわかった」

--2007年の成績は満足するに値するか。

「それなりに頑張った。決勝にたくさん上がったが3度の優勝に対しては満足している。準優勝の多い点は不満だが…」

--最近読んだ本は。(李九段は書癡というニックネームがつくほどの読書好きだ)

「推理小説。贈り物としてもらった経済関連の本も読んでいる。でも集中できないし、進まない。囲碁の勉強を一生しても5~6級にならない人のように、本に関しては私もそんな人ではないかと思う」

--囲碁界で今年はこれだけは変わってほしいと思うことがあるか。

「いくつかあったが…。年間スケジュールがあらかじめ出て、1週間でもどこかへ行って休めたらいいと思う」

--最後の質問。李昌鎬時代はまた来るのか。多くのファンはほかでもない李昌鎬だからまた全盛期を取り戻すものと固く信じている。

「…(笑)。それは言葉にできる問題か。私自らにも見せたい。調子が上がるだろう。しかしよくなるとしても続かないのが自然の流れだ。このごろは楽に楽しく生活して、運動もしている。静かに集中して心を最善の状態に維持するために力を入れている。勝負はその結果だから…自然に任せて結果に承服する」

最新記事

    もっと見る 0 / 0

    포토뷰어

    <囲碁>李昌鎬、囲碁人生22年を語る

    2008.01.04 14:58
    뉴스 메뉴 보기
    TOP