北京から南西側に15キロ離れたところにある盧溝橋を西洋人は‘マルコポーロブリッジ’と呼んだりもする。 彼が1299年に完成した『東方見聞録』で「世界中どこへ行ってもこれに匹敵するものは探すのが難しい」と描写したことから付いた名前だ。 橋の欄干にそれぞれ異なる姿で彫られた数百の獅子の彫刻がマルコポーロを魅了したようだ。 後世の清の乾隆帝が月見の名所として称賛し碑石を建てるほど風情ある景色に魅され、そう書いたのかもしれない。
こうした平和で風情ある雰囲気とは正反対のイメージとして、この橋は歴史の本に登場する。 1937年7月7日午後10時40分。 付近で日本軍が夜間訓練を行う中、数発の銃声が鳴り響き、兵士1人が行方不明になった。 兵士は20分後に現れたが、日本軍の指揮官は中国軍の射撃と決めつけ、報復攻撃に立った。 これが中国大陸全域を舞台に8年間続く中日戦争の発端だ。 その過程で人類史の汚点という南京虐殺が日本軍によって強行されたりもした。