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韓日EEZ談判…熾烈な争い

2006.04.22 09:17
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柳明桓(ユ・ミョンファン)谷内次官ソウル会合初日、日本の韓国側排他的経済水域(EEZ)内で測量計画をめぐり韓国と日本は外交戦争中だ。

この戦争は21日、柳明桓外交通商部第1次官と谷内正太郎日本外務省事務次官間の談判につながった。この談判で日本側は水路測量を撤回する条件で韓国式海底地名登録の自発的放棄を要求した。韓国政府は登録時点を延ばすことはできるが、放棄することはできないと対立した。この争いの続きは22日に延長された。

 
この精神的争いのピークは、谷内次官の1泊2日の訪韓が行われることになるまでだった。日本政府は20日午後、谷内次官の訪韓を提起した。交渉で解決しようというジェスチャーだった。物理的衝突に負担を感じてきた韓国政府としても願うところだった。

しかし簡単には受け入れなかった。「交渉が進行中には水路探査をしないと約束すれば谷内次官の訪韓を受け入れる」ともう1度圧迫した。日本は気落ちした雰囲気が見えた。小泉首相は弱腰にも見えると気をもみ続けたという。

衝突を選ぶことはできなかったのか韓国側要求を受け入れた。日本政府は「交渉中には水路探査のために船を出さない」と発表した。谷内次官はそうして21日午後、ソウルの地を踏んだ。外交官である谷内次官は2006年、日本の外交路線を象徴する。日米同盟を重視する米国通で対北タカ派だ。

日本の外交官らが尊敬する人物の中に明治時代の小村寿太郎がいる。大陸進出外交を主唱した小村氏は1905年、日露戦争勝利後、韓国に対する日本の支配権を固めたポーツマス強化条約の交渉の主役だ。

協議の初日、谷内次官の前で柳次官は独島(トクト、日本名竹島)の歴史を取り上げた。「1905年2月、日本が独島を自国領土に編入した。韓国はこれを韓半島植民地化のきっかけと理解している。日本は今回の問題を海洋科学調査だというが、韓国はそうは思わない」柳次官が小村寿太郎を意識して言った言葉かは明らかではない。しかし制圧要因であったことだけは明らかだった。

今回の外交戦の初盤の状況は日本のペースだった。14日、独島近隣韓国EEZで水路調査をすると発表した日本はあらかじめ準備した一手を打って出発した。東京から測量船を出港させた後、独島に近い鳥取県境港に待機させた。国際法による措置という宣伝戦も並行した。

韓国政府は日本が置く一手一手に対応するのに忙しかった。「静かな外交を変える時がきた」という大統領の発言とともにEEZ交渉で鬱陵島(ウルルンド)の代わりに独島を基点にすると逆に攻勢をかけた。アレクサンダー・バーシュボウ在韓米大使などを通して対日圧迫も行った。

日本内で批判世論が生じ始めた。国連安保理常任理事国進出と日本人拉致被害者問題などを前に、今回の機会に北東アジア外交で孤立してしまうと懸念した。

「柳明桓-谷内正太郎」談判はこうして始まった。韓国政府は圧迫外交が成果をおさめたと自評した。ある消息筋は「日本が初盤布石でリードしたが、韓国の勢力囲碁に押された」と言った。

終盤は苦しんだが、日本も得たことはある。1週間を超す今回の事態で独島問題を一定部分国際紛争化することに成功した。

しかし韓日外交戦の得失計算はまだ早い。「柳明桓-谷内正太郎」談判の結果が出ていないからだ。

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