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【コラム】韓国、新しい政治がなぜ出現しないのか(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2024.05.07 16:02
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総選挙が終わった。選挙の結果に基づく政党と政治家の動きに注目しながら民心を反映した新しい政策を評価する作業が重要だが、選挙の進行当時ほどおもしろくはない。毎日見ていたニュースも選挙が終われば少しつまらなくなる。それでも2024年の総選挙の結果は以前の総選挙と同じく韓国政治で重要な示唆をしている。

◆大韓民国を揺るがした歴代選挙

 
1980年代までの選挙イシューは、強力な与党に対して野党がどれほど得票するかだった。そのような意味で1956年大統領選挙と1958年総選挙、1971年大統領選挙と総選挙、1978年総選挙、1985年総選挙、そして1987年大統領選挙と1988年総選挙は、韓国社会全体に選挙ブームを起こした。官権介入状況でも野党が躍進し、選挙の結果は韓国社会の大きな変化の出発点となった。

多くの総選挙では与党の当選者数が野党より多かったが、時には野党の得票率躍進が予想を超えることもあった。いくつかの総選挙の場合、野党が得票率で与党を上回ったりした。そして野党が躍進した選挙の直後に政治的変化が表れたりもした。1958年の野党の躍進は、与党内の穏健派と野党内の一部のグループが秘密裏に内閣責任制改憲を推進する背景となった。

1971年の大統領選挙と総選挙は、1971年の非常事態宣言と72年の維新宣言に原因を提供した。1978年の総選挙は1979年の政治的な渦の開始点となり、1985年の総選挙は1987年6月の抗争と改憲につながった。そして1988年の総選挙の結果で形成された少数与党の状況は1990年の民主自由党誕生と保守・進歩の政治構図が誕生する重要な契機になった。

◆変化した時代的状況

今回の総選挙はどうか。1990年代までの総選挙と大統領選挙では民主化イシューと共に経済開発時代の遺産だった地方主義が選挙の結果に重要な影響を及ぼした。多くの専門家と市民が開発独裁時代の遺産から韓国政治が抜け出すべきだという当為を叫んだが、その遺産は2000年代まで続いた。

ひょっとすると2022年の大統領選挙と2024年の総選挙が開発独裁の政治的遺産から抜け出すことができる重要な機会だったのかも分からない。若い世代はもう進歩の票田にならなかった。これは過去とは違う韓国社会の政治的地形を見せ、開発時代以降に大都市で生まれた青年が有権者になり、与村野都(与党は農村、野党は都市)の公式も崩れる可能性があった。

さらに製造業中心の近代産業革命から第4次産業革命に時代的な流れが変わり、保守と進歩の基準が開発独裁時代のイシューから21世紀にふさわしい新しい革新の可否に変わる条件が用意された。時代的な変化は新しい政治構図が出現する基盤になったりする。また民主化以降に生まれた世代がすでに30代に入ったため、2024年という時点で新しい政治構図が出現するとしてもむしろ遅いという印象がなくはない。

◆70年前の韓国政治に対する評価

にもかかわらず、今回の総選挙の結果を見ながら1950年代半ばの米大使館の韓国政治に対する評価が改めて浮かび上がる(1956年2月13日付)。すでに70余年前のことだ。この文書は1956年の大統領選挙で民主党が旋風を起こすと、こうした現象をどう理解すべきかを分析した内容を含んでいる。

当時、民主党は1954年の四捨五入改憲後、1955年に創党してから1年しか経っていない状況だった。また、過去の韓国民主党系列と共に院内自由党、興士団系列、カトリック系列などが民主党に統合された直後だったため、民主党をそれ自体として評価するのはまだ早い時点だった。それでも1956年の大統領選挙で野党候補の申翼煕(シン・イクヒ)の人気は大変なものだった。漢江(ハンガン)の砂浜での演説に数十万人が集まった。

このような大衆的な人気にもかかわらず、当時の米国大使館の文書は民主党にそれほど好意的な評価をしなかった。そしてさらに重要な点は、韓国政治自体に対して否定的だったという点だ。この文書に表れた韓国政治の特徴は次の通りだ。

【コラム】韓国、新しい政治がなぜ出現しないのか(2)

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