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【コラム】インフレ・高金利・為替レート不安、世界経済揺さぶる(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2023.10.24 15:02
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パレスチナの武装組織ハマスのイスラエル攻撃とこれに伴うイスラエルの戦争宣言で中東地域に強力な武力衝突が発生した。米国が直ちにイスラエルに対する支援を宣言した中で、ハマスの今回の攻撃にイランが無関係ではないという疑惑まで提起され、西側と反西側陣営の国際的葛藤が拡散する懸念が高まっている。すでにロシア-ウクライナ戦争の余波で全世界が経済的に困難に陥っている状況で新たな極端的葛藤の火炎が広がっているのだ。これに伴い、全世界が一種の「戦時体制」に変化してグローバル経済が大きく揺れている。

◇戦争はすなわちインフレの歴史

 
歴史上、戦争の記録が提供する戦時経済の最初の特徴はインフレだ。1970年代と1980年代初期に世界経済を揺るがした二度のオイルショックとこれに伴うインフレも結局のところ主要背景が戦争だった。第1次オイルショックには第4次中東戦争が、第2次オイルショックにはイラン革命とそれに続くイラン-イラク戦争があった。第1・2次オイルショック当時、韓国の消費者物価上昇率は年25~30%に達するほどだった。

戦争当事国と隣接国の状況はより一層深刻だった。例えば1973年第4次中東戦争直後、イスラエルの物価上昇率は39.7%(74年)、39.3%(75年)に達した。イラン-イラク戦争の最中だった1980~85年、イスラエルの物価上昇率は年間を通して100%を超えたが、1984年には373%という途方もない数値を記録した。インフレに苦しめられたイスラエルは自国通貨「シュケル」の放棄を議論するほどだった。

◇米国物価も毎回戦争の影響圏

第2次世界大戦以降、米国の主要インフレ時期を分析すると戦争状況と相当部分で重なる。それが次のとおりだ。(1)第2次世界大戦時期の価格統制が解除されて最高で年間20%に達する戦後インフレに苦しめられた1940年代中後半 (2)1950年代韓国戦争(朝鮮戦争)時期 (3)1960年代後半ベトナム戦争の戦争拡大時期 (4)1970年代初中盤第4次中東戦争と第1次オイルショック (5)1970年代後半と1980年代初期イラン-イラク戦争と第2次オイルショック (6)1990年代初期イラクのクウェート侵攻と湾岸戦争 (7)ロシア-ウクライナ戦争--だ。

インフレは物価制御のための通貨当局の政策金利の引き上げをはじめとして利率上昇要因として作用せざるをえない。特に戦争経費調達のためには財政赤字あるいは国債発行増加が避けられない。これに伴い、市場では国債供給の増加による債券価格の下落または市場金利上昇現象が現れる。このような観点でグローバル戦時経済の2つ目の特徴は債券価格の下落と市場金利の上昇だ。米国の市場金利を現わす主な指標である10年満期の米国財務省債券収益率が上昇した時期も米国のインフレ時点と相当部分で重なる。市場金利の上昇が主要戦争時点とも深く関連するということだ。

◇英国、第2次大戦で金融覇権を逃す

戦争でインフレがもたらされる理由は戦争費用調達による貨幣蒸発のためだ。戦争当事国の通貨供給増加は該当国の通貨価値を下落させる。したがって戦時経済の3つ目の特徴は戦争当事国の通貨価値の下落だ。特に戦争に伴う生産施設の破壊により経済力の弱化を経験した国であれば、これを反映した通貨価値の下落はより一層深刻だ。

第2次世界大戦末期に近づいていた1944年、世界各国代表団が米国ブレトンウッズに集まって新たな戦後国際金融秩序を模索したのも従来の国際金融市場を導いた英国がポンド価値を維持できなかったためだ。戦争核心当事者として産業施設の大部分が破壊された英国が戦費支出に疲れたうえに外貨不足を埋めるために海外資産を売却した時だった。結局戦争の直接被害が小さいまま世界経済を主導することになる米国を中心に据えて、金に関連したドルを基軸通貨とするブレトンウッズ体制という名の新たな国際金融秩序が誕生した。

しかし米国のベトナム戦争参戦に伴う天文学的な戦費支出とこのためのドル発行、そしてこれに伴うドル価値の下落で、そのブレトンウッズ体制も1971年に崩壊してしまった。

【コラム】インフレ・高金利・為替レート不安、世界経済揺さぶる(2)

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