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北ミサイル発射後初めて公式行事に現れた駐韓米国大使と韓米連合軍司令官

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2019.07.27 09:46
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北朝鮮が25日に短距離弾道ミサイル2発を東海(トンヘ、日本名・日本海)に発射した翌日の26日、ハリー・ハリス駐韓米国大使とロバート・エイブラムス韓米連合軍司令官が公式的な席に姿を現した。国家報勲処がこの日開いた国連参戦勇士再訪韓感謝晩餐会場でだ。2人は北朝鮮のミサイル挑発には言及しなかった。ただ、1950年当時に国連の旗の下で16カ国の軍人が守ろうとした価値を強調した。

ハリス大使は「みなさんは韓国の平和と民主主義のために戦った」とし「韓国は経済強国に成長していて、民主的価値と自由を保障する国になった」と祝った。そして「昨年、北朝鮮と関連して歴史的で特別な事件があった」と述べた。昨年6月にシンガポールで開催された初めての米朝首脳会談のことだ。続いて「国連参戦勇士の犠牲で築かれた平和を土台にさらに前進していく」と強調した。

 
エイブラムス司令官は「私の家族は代々軍人であり、父と兄弟も韓国で服務した」とし「今日、我々が多くのことを享受できるのは、まさに祖国のために犠牲になって献身した方々がいたためであり、参戦勇士の精神を我々は受け継いでいく」と述べた。

エイブラムス司令官の父のクレイトン・エイブラムス ・ジュニアは53年に韓国に配置され、停戦を見守った。兄のジョン・ネルソン・エブラハム予備役米陸軍大将も93-95年に韓国で勤務した経歴がある。

米軍の将官の中にはエイブラムス司令官のように親子で韓国防御の責任を負った家族が少なくない。韓国戦争(朝鮮戦争)初期に「死んでも無条件に防御すべき(Stand or Die)」という命令で洛東江(ナクトンガン)防御ラインを守ったウォルトン・ウォーカー米第8軍司令官が代表的な人物だ。当時、彼の息子サム・ウォーカーは最前線小銃中隊長(大尉)として参戦した。父ウォーカー将軍は1950年12月23日、銀星武功勲章を受けた息子のサムを祝いに行く途中、交通事故で死亡した。

ウォーカー将軍の後任ジジェームズ・ヴァン・フリート米第8軍司令官も親子が戦争で共に戦った。彼の息子ジム・ヴァン・フリート中尉は当時、米空軍の爆撃機操縦士だった。ジムはギリシャで勤務して本国に帰国したため、もう海外勤務をする必要はなかった。しかしジムは志願して父と同じ戦線に配置された。52年4月4日、ジムは夜間出撃に出た後、帰らぬ人となった。捜索・救出作戦が行われたが、可能性がないという判断からヴァン・フリート将軍は作戦中断を命令した。

皮宇鎮(ピ・ウジン)報勲処長は「国連参戦勇士の献身と犠牲に感謝している」という言葉を伝えた。

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    2019.07.27 09:46
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    祝辞を述べるハリー・ハリス駐韓米国大使[写真 国家報勲処]
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