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平昌五輪「2大主役」の最後の対面…趙亮鎬会長の焼香所を訪れたキム・ヨナさん

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2019.04.15 10:54
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昨年の平昌(ピョンチャン)冬季オリンピック(五輪)の「2大主役」ともいえる故趙亮鎬(チョ・ヤンホ)韓進(ハンジン)グループ会長と元フィギュアスケート韓国代表キム・ヨナさんが最後に対面した。キム・ヨナさんは14日、ソウル西大門区(ソデムング)の新村(シンチョン)セブランス病院葬儀場に設けられた趙会長の焼香所を訪れて弔問した。

黒いスーツ姿のキム・ヨナさんはこの日午後3時ごろ葬儀場に姿を見せた。硬い表情で焼香所に入ったキム・ヨナさんは趙会長の遺影の前に菊の花を置いて最後の挨拶を伝えた。遺族を慰労しながら生前に平昌冬季五輪招致と開催のために尽力した故人の功績を賛えた。

 
キム・ヨナさんは遺族に「(趙会長)死去のことを聞いてとても驚き、残念に思った」とし「平昌オリンピック誘致委員長として五輪招致のために献身され、その後も五輪が成功裏に開催されるように非常に尽力された」と話した。続いて「(趙)会長とアフリカのトーゴとダーバンに一緒に行ったたくさんの思い出が残っている」とし「韓国の冬季スポーツのために献身された会長に感謝を申し上げ、改めて深い哀悼を表す」と慰労の声をかけた。

趙会長とキム・ヨナさんは五輪招致から開催まで格別な縁を結んだ。2009年、3度目の挑戦に出た冬季五輪招致のために、当時の李明博(イ・ミョンバク)政府は趙会長に「ラブコール」を送った。祖先の趙重勲(チョ・ジュンフン)会長が鄭周永(チョン・ジュヨン)前現代グループ名誉会長と1988年ソウル五輪開催に出たように、趙会長に一肌脱いでほしいと願ったのだ。

当時、韓進グループ内部からは「韓国の冬季五輪は赤字が避けらず、企業家が五輪招致をしたところで政界からよく言われない」として反対の声が上がったという。内部の反対を押し切って趙会長はオリンピック誘致委員長を引き受けて東奔西走した。グループ経営は専門経営者に任せて国際オリンピック委員会(IOC)委員がいるところならどこでも訪れて支持を訴えた。趙会長が五輪招致のために移動した距離だけで50万キロメートルを超える。

キム・ヨナさんもほぼ同じ時期、五輪招致広報大使を務めながらこれを支えた。2010年バンクーバー冬季五輪を控えていたが、「冬季スポーツのスター」の不在で2回も煮え湯を飲まされた記憶がキム・ヨナさんをオリンピック招致戦に引き込んだ。バンクーバーで韓国初のフィギュアスケート金メダリストになったキム・ヨナさんは、2011年南アフリカ共和国ダーバンで開かれた第123回IOC総会のプレゼンテーションで世界の人々に強烈な記憶を残した。

趙会長が2014年平昌オリンピック組織委員長を務めて成功的開催に向けて力を注ぐ間、キム・ヨナさんも五輪広報大使となって尽力した。2016年、釈然としない理由で趙会長が組織委員長から退いたが、キム・ヨナさんは2017年11月に米国ニューヨークで開かれた第72回国連総会に出席して演説をし、翌年の五輪では聖火の最終ランナーとなった。最後まで平昌五輪の成功を導いた。

最も厳しい時期、五輪招致から開催まで一緒にやってきた趙会長とキム・ヨナさんが共にした時間も少なくなかった。ダーバンIOC総会に先立ち、アフリカ・トーゴ首都ロメで開かれたアフリカオリンピック委員会(ANOCA)総会に出席して、最後まで支持を訴えたのも趙会長とキム・ヨナさんだった。

韓進グループ関係者は「趙会長が韓国を代表する冬季スポーツスターのキム・ヨナさんに対して、ありがたく立派だと考えていた」と伝えた。

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    2019.04.15 10:54
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