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【取材日記】「市長の広場」ではなく「市民の広場」になるためには=韓国

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2019.01.23 11:15
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昨年の秋、出張のためドイツ・ベルリンに行ってきた。第2次世界大戦時、ソ連軍がベルリン国会議事堂の壁面に残した「落書き」が印象的だった。後年に議事堂の改築を指揮した建築家ノーマン・フォスターが「(落書きを)そのまま残そう」と決めたのだ。現在、その落書きは歴史遺産であり観光商品となっている。

朴元淳(パク・ウォンスン)ソウル市長が主導した「漢陽都城」の国連教育科学文化機関(ユネスコ)文化遺産登録の予備審査の時にも同じようなエピソードがあった。市が岩に書かれた子どもたちの落書きを消そうとすると、審査委員は「それも歴史」としてやめさせたという。

 
市が21日、「新しい光化門(クァンファムン)プロジェクト」当選作を発表した。昨年7月、市民・専門家150人余りで構成された「光化門委員会」が発足してから初めて具体的な下絵を提示した。市は2つの写真を提示して正当性を強調した。まず1974年の光化門だ。長剣を手にした李舜臣将軍の銅像が10.5メートルの台座の上に立っている。往復16車線道路に横断歩道がない。開発年代の時代だった。

もう1枚は2009年9月、呉世勲(オ・セフン)前市長が作ったものだ。車道の間に造成されて「世界最大の中央分離帯」という批判に苦しめられたのは事実だ。そのうえ、前任の李明博(イ・ミョンバク)市長の清渓川(チョンゲチョン)復元と比較されながら「呉世勲強迫観念の産物」という評価を受けた。

朴市長の絵はどのように違うのだろうか。六曹(ユクジョ)通りと月台(ウォルデ、宮廷前に置く広い段)の復元、議政府(ウィジョンブ)の場所発掘を通じて歴史性を取り戻す。地下には大型駅舎と市庁から東大門(トンデムン)に達する4キロの歩行者専用道路を作る。計1040億ウォン(約100億円)が投じられる。だが、李舜臣(イ・スンシン)・世宗大王(セジョンデワン)銅像移転問題、交通混雑の懸念などが提起されながらすでに否定的世論が広がっている。それでも2021年の完工を宣言した。呉前市長は地方選挙直前に出したが、朴市長も2022年大統領選挙の前年度に合わせた。

このような批判が出てくる理由は、まず時刻表を組んで、ここに合わせて結論を出したためとみられる。成功した建築プロジェクト焦り症、大統領選挙のための政治功績誇示用という非難が出ている。朴市長は「市民や専門家が長い間悩んだ」と言うが、素直に耳に入ってこない。朴市長は新しい広場で大統領候補演説を行う想像をしているかもしれない。

このような焦り症、このような政略では「市長の広場」だけができてしまう。何でもかんでも過去を消すのではなく、記憶と記録、参加を積み重ねることから始めてこそ「市民の広場」になる。720億ウォンを投じた広場の地面の石を活用する方法もある。十分な世論の取りまとめもなく、2021年の完工に固執して急げば、次の市長がまた数千億ウォンのスコップ作業をやるのは目に見えている。

イ・サンジェ/福祉行政チーム記者

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