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【時視各角】文大統領が逃した3つのタイミング

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2018.12.24 10:52
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政治はタイミングの芸術だ。政治が美しい芸術作品である必要はない。しかし、タイミングを逃してしまうのは困る。あっという間に政権に勢いがなくなり、国がおかしくなってしまいかねないからだ。3週前に取り沙汰された「青瓦台(チョンワデ、大統領府)特別監察班民間人査察疑惑事件」の展開過程が実感の湧く事例だ。問題解決の時点を何回か逃すと、青瓦台は混乱し、そして廃墟になった。文在寅(ムン・ジェイン)大統領の国政運営に対する反対比率が支持度を超えた。放送からは「執権2年目症候群」だの「大統領のレームダックが始まった」だのという言葉が次々とあふれ出ている。政府与党である民主党からですら「あのアマチュア青瓦台にいつまで付き合わなくてはならないのか」という不機嫌な声と冷笑が出ている。

文大統領の自業自得だというほかない。大統領は問題を解決できるタイミングを3回逃したと考える。

 
1回目は11月30日。チョ・グク民情首席は任鍾皙(イム・ジョンソク)秘書室長と相談して青瓦台特別監察班全員交代という希代の措置を下しながら「民情首席室は特別監察班職員の一部が不正容疑が持たれているということだけでも十分な業務を実行できないだろうと判断した」という立場文を出した。どこかの権力者の談話文のようだ。「民情首席室責任者として申し訳ない」という謝罪は一言もなかった。その後、時間が流れながら新たに明るみになった事実だが、特別監察班問題は青瓦台高位参謀の指揮・監督・判断ミスであり、民間人相手の不法査察だと疑われるには十分な事件だった。任鍾皙-チョ・グクの2人が互いに事件の本性を個人の逸脱問題に縮小してゆがめた側面がある。振り返ってみると、チョ・グク首席は局面を大きく捉えるべきだった。法律的問題に縮小することではなく、政務的責任を負って辞任するのが正しかった。鍬(くわ)で防ぐことができることを鋤(すき)でも防げないような事件にしてしまった。

謎は、任鍾皙室長が前代未聞の「特別監察班全員交代案」をアルゼンチンを訪問中だった文大統領に報告したかという点だ。大統領がきちんと報告を受けていたとすれば、最高統治者の立場でもう少し多角的に事実関係を把握した後に承認するべきだった。報告を受けなかったとすれば、文大統領は任鍾皙-チョ・グクの2人に多すぎる裁量権を与えていたことになる。

タイミングを逃した2つ目のポイントは12月4日。海外歴訪から帰ってきた文大統領はチョ・グク首席を更迭するどころかむしろ力を与えた。その数日前、大統領は海外からフェイスブックに「信じてほしい。正義のある国に必ずしてみせる」と書いたので、人々の混乱はより大きかった。文大統領はチョ首席に「公職紀綱確立のために管理体系を強化せよ」「最高検察庁の調査結果が出れば事件の性格を国民が正しく判断するだろう」と述べた。しかし特別監察班の不法疑惑事件は青瓦台の管理体系ではなく秘書室長、一部の首席秘書官の厳正な公職精神と責任意識の不在のような人間的要因から始まった。解決策はそこから出てくるべきだった。最高検察庁の調査に方向性を提示するような言及も不適切だった。今や人々は特別監察班に関する検察捜査の客観性をすぐに信じようとはしないだろう。

3回目の問題は大統領が任鍾皙-チョ・グクをかばってからこれまで進められた青瓦台高位職の羞恥心知らずの形態だ。尹永燦(ユン・ヨンチャン)国民疎通首席、金宜謙(キム・ウィギョム)報道官、朴炯哲(パク・ヒョンチョル)反腐敗秘書官まで加勢して自分が連れていた下級者を「窮地に追い込まれたドジョウ(=取るに足らないもの)」「不純物」に仕立てあげたが、いくら焦っていたからと言ってもこれほど醜いことはないだろう。「天を仰いで唾する」とはこのことだ。どうしたら自分たちは間違っていたことも責任を負うこともないとそれほどまでに主張できるのかと、多くの人々はあっけにとられ、また絶望している。青瓦台参謀がこのような姿勢で業務にあたっていれば、大統領がすべての責任をかぶらなければならない時がくるかもしれない。

チョン・ヨンギ/中央日報コラムニスト

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