주요 기사 바로가기

【コラム】習近平主席の「韓半島南方限界線」2

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2017.05.04 15:35
0
1990年代にソ連の秘密文書庫が開かれると、韓国戦争(朝鮮戦争)に関するミステリーが次々と明らかになった。その中で我々の目を引くものが2つある。国連軍の派兵を決議する国連安保理の表決にソ連代表がなぜ参加しなかったのか、そして台湾統一を目の前にした時点で毛沢東はなぜ台湾をそっちのけに無理にこの戦争に参戦したかだ。

ロシア出身のパンツォフ米オハイオ州コロンブスキャピタル大歴史学教授は、先月翻訳出版された『毛沢東評伝』で2つの謎のカギはスターリンだと断言した。世界革命というグローバル戦略の観点で米国が極東で戦争に巻き込まれれば欧州に全力投球できないはずだというスターリンの計算だった。その隙に東欧圏を確実なソ連の影響圏として固め、これを基盤にバルカン・インドシナ・東南アジアに赤色革命を輸出するという腹案だったということだ。

 
スターリンに支援軍派兵を約束した毛沢東は派兵を控えて少なくとも5回は大きく揺れた。人民軍が破竹の勢いで洛東江(ナクトンガン)に向かって前進した1950年7月、参戦に気が早っていた周恩来は北朝鮮軍指導部に韓半島(朝鮮半島)の地図と人民軍に偽装するための軍服肩章の写本を送ってほしいと伝えた。しかし仁川(インチョン)上陸作戦で流れが変わった。10月、周恩来はこの戦争に巻き込まれてはいけないと考えて背を向けた。林彪司令官ら党幹部は戦力の劣勢だけでなく台湾修復の決定的な機会を失うとして反対した。当時、米第7艦隊は北朝鮮の南侵に続く中国共産軍の上陸戦に備えて台湾海峡を遮断した状態だった。スターリンに対する強迫に苦しんでいた毛沢東は結局、台湾を後回しにして鴨緑江(アムノッカン)を渡るしかなかったというのがパンチョフ教授の分析だ。中国が緩衝地帯と規定した韓半島の北側地域は、このように台湾統一をあきらめた歴史と運命的に結びついている。トランプ米大統領は就任前、台湾も中国の一部という「一つの中国」問題に触れたが、中国の習近平国家主席と会談を控えて覆した。水面下で中国がどんな役割をしたのか伝えられないまま4月危機説が過ぎ去ったが、緊張の連続だ。

北朝鮮の急変事態が発生すれば中国人民解放軍は難民収容所の設置を名目に韓半島で最も幅が狭い清川江(チョンチョンガン)-咸興(ハムフン)線まで下りてくる可能性があると、米国軍事・安保シンクタンクのランド研究所のブルース・ベネット博士は指摘した。ベネット博士は中国共産党の傀儡政府を作る考えなら人民解放軍が平壌(ピョンヤン)の下の南浦(ナムポ)-元山(ウォンサン)線まで下りてくることもあるという見方を示した。ちなみにベネット博士は、このような動きが感知される場合、韓米同盟は座視せず休戦ラインを突破し、鴨緑江・豆満江(トゥマンガン)まで北上するだろうと警告した。韓半島北部とコインの表裏の関係である台湾海峡も渦に巻き込まれるしかない。トランプ大統領が習近平主席に再確認した対北朝鮮介入のレッドラインということだ。

チョン・ヨンファン/中央SUNDAY次長

関連記事

最新記事

    もっと見る 0 / 0
    TOP