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「管理のサムスン」を率いた指令塔、58年ぶり歴史の中に

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2017.03.01 08:31
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未来戦略室は1959年にサムスンの創業者、故李秉チョル(イ・ビョンチョル)先代会長時代の秘書室からスタートした。李会長はグループ母体の三星商会のほか、サムスン物産・第一製糖・第一毛織・安国火災(現サムスン火災)など系列会社が増えると、体系的なグループ管理のために秘書室組織を作った。60年代後半に内部に監査チームが設置され、秘書室はグループ内の強大な組織に生まれ変わった。その後、サムスンが成長を繰り返した70年代を経て名実ともに「管理のサムスン」のヘッドクォーターとして定着した。

李会長の『湖巌自伝』を見ると、「各社の社長に会社経営を分担させ、秘書室がグループの中枢として企画・調整をする運営体制であるため、私は経営・運営の原則と人事の大本だけを担当してきた」という表現がある。大きな絵を描いて指示するオーナーと、それに基づいて緻密な戦略を立てる未来戦略室、そしてこれを実行する専門経営者が現在のサムスンを築いたということだ。

 
韓国社会の激変とともに未来戦略室も浮沈の歴史を経験した。通貨危機当時の98年には構造調整本部に名称を変えた。構造改革の実務を担当する一時的な組織だった構造調整本部は個別会社レベルではできないグループ全体の役割調整、経営診断、グループブランド管理、新事業の発掘などの役割をし、むしろその位置づけは高まった。そして2006年、いわゆる「Xファイル」事件が発生すると、組織が大幅に縮小されて戦略企画室に変わった。当時の戦略企画室は「グローバル競争時代の支援組織」をモットーにしていた。しかし戦略企画室の運命は長く続かなかった。2008年に「サムスン特検」が数兆ウォン台の借名口座の運用など不法行為を明らかにすると、サムスンは経営刷新案を発表して戦略企画室を解体した。

サムスンは2010年、グループ全体を総括する組織が必要だという理由で戦略企画機能を復活させ、現在の名称の「未来戦略室」に表札を変えた。未来戦略室では人事支援・法務・広報・経営診断など7チームに約200人が勤務している。首脳部の役割をしてグループ内で強大な力と地位を持った未来戦略室は、「崔順実(チェ・スンシル)ゲート」に関与したという疑惑を受け、約7年で歴史の中に消えることになった。

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