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【コラム】ブラックリスト、古代宦官政治の遺物=韓国(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2016.12.29 15:03
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ブラックリスト捜査が急ピッチで進んでいる。青瓦台(チョンワデ、大統領府)・文化体育観光部が現政権に批判的な文化芸術界の要人9473人の名簿を作成したという疑惑が俎上に載せられた。特検は当時金淇春(キム・ギチュン)大統領秘書室長と趙允旋(チョ・ユンソン)政務首席にメスを入れようとしている。秘線実勢(陰の実力者)の国政壟断を越え、今は権力の民主主義壟断の容疑へと深まっている。

ブラックリストの具体的な意図はまだ知らされていない。だが、気に入らない人々の稼ぎのもとを断ち切って他への見せしめとし、批判や抵抗の声を封じるという凶計でなければこんなものは作らなかっただろう。高位にいる人々の機嫌を損ねたからと要注意人物のリストを作成するなぞということは、過去の専制君主時代の「宦官」しかやらなかったことだ。国民と国の価値や尊厳を何もかも放り出し、ひたすら権力者にこびへつらって出世ばかりを考えていた集団のことだ。民主主義の中枢であり時代精神の鏡である「表現の自由」を無視して、文化芸術を単なる権力者の「喜び組」に転落させるという時代錯誤的な認識も見え隠れしている。文化芸術分野で表現の自由を抑圧しようとする勢力はメディアにもくつわをはめたかったはずだ。実際、いまブラックリスト作成者として名前が上がっている人の中には、朴槿恵(パク・クネ)政府に批判的な報道機関やジャーナリストたちに「警告」を繰り返し与えていた人物もいる。真実にふたをして、歴史の時計を逆に回そうと世論操作を試みようとしたのだ。

 
彼らのように批判の口をふさいで『龍飛御天歌』(朝鮮の偉業を称えた歌)さえを残せば太平聖代になるという期待は、歴史も証明している「錯覚」だ。かれこれ1500年前、唐の太宗(598~649、在位626~649)がこれを体験した。彼に17年間仕えた臣下の魏徴(580~643)は資料に記録されている諫言だけで200回を越えるほど、苦言をはばからなかった。そのほとんどが皇帝に難しい判断を迫る直諫だった。太宗は魏徴が亡くなると手ずから碑文を書いたが、すぐに墓碑を壊してその鬱憤を晴らした。生前の厳しい諌言を思い出して眠れなかったようだ。臣下の苦言から開放されるや、皇帝はその意志の赴くまま645年に高句麗を侵攻した。だが、安市城の戦いで惨敗し退却しながら「魏徴がいればこんなことはなかったはずなのに」と深く嘆いたという。首都に戻った彼が真っ先にしたことは魏徴の墓碑を再び整えたことだった。


【コラム】ブラックリスト、古代宦官政治の遺物=韓国(2)

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