【コラム】大統領がすべき選択=韓国(1)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2016.11.30 13:09
1945年4月中旬のある日、ロシア軍がドイツ・ベルリンの目前まで迫ると、ヒトラーの参謀はベルリンを離れることを勧めた。降参を主張する側近はすべて除去されたが、敗戦を考えない参謀はだれもいなかった。ベルリンを放棄しようというのも戦列を立て直して反撃を狙う作戦上の後退ではなかった。ナチス首脳部がベルリンに残っていればロシア軍の集中砲火を避けられないため国民の犠牲だけでも最小化しようという話だった。
だがヒトラーは提案を一刀のもとに切り捨ててしまった。代わりにベルリン死守を命じた。すでに満身瘡痍となったドイツ軍は故障して動けない戦車の砲塔を土に埋め大砲として使わなければならなかった。こうした自嘲が自然に出てきた。「防衛線を突破されるのに1時間かかるだろう。ロシア軍が55分間抱腹絶倒し、5分で終わらせてしまうから」。予想通りロシア軍の強力な砲撃が始まった。数日間に降り注いだ爆弾は第2次世界大戦期間中に連合軍がベルリンに投下した爆弾より多かった。この砲撃で2万2000人の民間人が命を失った。