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【噴水台】まだ覚えていない単語、廉恥=韓国

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2016.09.12 09:01
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恥ずかしいと思う人はおらず、悔しいと思う人ばかりだ。最近の大韓民国のことだ。浮上した疑惑に「悔しい」と述べながらも結局は「申し訳ない」で終えるのを数え切れないほど見てきたが、依然としてこのパターンに適応できない。一面識もない人さえ恥ずかしいと思う状況だが、本人は誰も恥じていないということだ。

私財が400億ウォン(約37億円)台の大企業のオーナーがわずか10億ウォンの損失を避けようと未公開情報を利用して保有株式を売却し、有力政治家の婿という検事は友人の名前を前に出して事業家から金を取るだけでなく脅迫と陰湿な攻撃までし、チンピラ並みのことを日常的にしてきたことが明らかになった。恥ずかしさでいえば、本人はもちろん妻、妻の甥や姪までサポートしながら、あらゆる苦言をしてきた元有力言論人もそうだ。誰一人として自分の過ちを恥じて謝罪する人はいなかった。

 
大きな過ちを犯したわけではないが金在水(キム・ジェス)新農林畜産食品部長官も理解しがたい。人事聴聞会の過程で出てきた各種疑惑について金長官は「謀略と陰湿な攻撃、政治的攻撃があったが、これは田舎出身で地方の学校を出たとして無視されたため」と悔しさを訴えた。長官にまで上がった人が公開的にこのような発言をして不満を並べるのも滑稽だが、これを単に一人の男の劣等感として済ませるには何か引っかかる。変わった国民の視線をあまりにも知らないことが表れたうえ、恥知らずであるからだ。

実際、金長官だけでなく人事聴聞会に立った高位任命職の大半が「私はそんなに悪い人間なのか」と当惑するという。自分なりに努力し、そして正直に生きてきたと自負していたが、過去の慣行のためにさまざまな不正をしてきた人間のように映ることに対する悔しさを理解できないわけではない。人事聴聞会が資質の検証よりも恥さらしに変質した側面も間違いなくある。しかし普通の国民の目で理解できないことに対する疑惑が提起されたとすれば、悔しいというのではなく自らの行動を省みるのが公職者ではないだろうか。ところが提起された疑惑を恥じるどころか疑惑の提起自体を政治的な攻撃だとして正面から対抗する。

政治家には恥ずかしさを知る廉恥、ユーモアを駆使する機転、そして一言にも余韻が残る趣きの3つが必要だという話を聞いたことがある。政治家に必要な機転・趣きはともかく、誰でも少なくとも廉恥はあるべきではないだろうか。

アン・ヘリ・ライフスタイルデスク

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