주요 기사 바로가기

慰安婦被害女性のユ・ヒナムさん死去…生存者は残り40人に

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2016.07.11 08:38
0
慰安婦被害女性のユ・ヒナムさんが10日、ソウル国立中央医療院で亡くなった。享年88歳。故人はこれまで肺癌で闘病してきた。これにより韓国政府に登録されている旧日本軍慰安婦被害者238人のうち生存者は40人に減った。

1928年忠清南道牙山郡仙掌面(チュンチョンナムド・アサングン・ソンジャンミョン)に生まれた故人は15歳の時である43年に日本の下関に連行されて2年近く慰安婦生活を送った。ユさんは村に「日本軍が娘を供出していく」というウワサが広がると、これを避けるために急いで結婚をした。だが、実家に向かっている間に正体不明の男性によって拉致された。故人は生前、あるメディアとのインタビューで「突然現れた男2人が私を連れ去った。結婚していると言うのに書類上で確認できなかったと言って無理やり車に乗せた」と証言した。数日の間、車と船に乗り換えながら到着したのは下関の軍部隊の前だった。

 
慰安婦生活は地獄のようだった。一日に数十人の軍人を相手にしなければならなかった。「怠けている」という理由で鞭打たれた日も数え切れないほどあった。管理者に体の具合が悪いと話したら逆に凶器で刺されたりした。急いで治療を受けて命からがら生き延びたが、心の傷と後遺症は一生ユさんを苦しめた。終戦で韓国に戻ってきたが、その後の人生も容易ではなかった。慰安所で受けた行為がとても恥かしく、家族のもとに帰る決心ができなかった。寺に行って尼僧になろうとしたこともあった。そんなふうに各地をめぐるなかで新たな家庭を築き子育てしながら運搬代行の商売を始めた。だが、子供たちにも「旧日本軍の慰安婦だった」と話すことはできなかった。

故人が慰安婦被害者という事実を公開して日本の謝罪と賠償を求める活動を始めたのは、夫と死別して京畿道広州市(キョンギド・クァンジュシ)の「ナヌムの家」に入った2012年からだった。ユさんは2年後、『帝国の慰安婦』のなかで慰安婦被害者を「日本軍の同志」などと表現したパク・ユハ世宗(セジョン)大教授に対する損害賠償訴訟に証人として出た。昨年7月には米国サンフランシスコ連邦裁判所に三菱重工業など日本戦犯企業と安倍晋三日本首相、産経新聞などを相手取って起こした2000万ドル(約20億円)の損害賠償訴訟にも参加した。この訴訟は最近、該当裁判所で棄却された。故人は「再びこのような辛い歴史が繰り返されてはいけない」として慰安婦被害史の国連教育科学文化機関(ユネスコ)登録を主張することもした。

焼香所はソウル中区(チュング)国立中央医療院葬儀場に設けられた。出棺は12日午前9時、埋葬地は京畿道盆唐区(プンダング)の城南(ソンナム)追慕公園だ。

関連記事

最新記事

    もっと見る 0 / 0

    포토뷰어

    慰安婦被害女性のユ・ヒナムさん死去…生存者は残り40人に

    2016.07.11 08:38
    뉴스 메뉴 보기
    ユ・ヒナムさん
    TOP