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【コラム】サムスンに望むものは何ですか=韓国

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2016.05.12 08:48
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サムスンが李在鎔(イ・ジェヨン)体制2年を迎えた。1年ほど過ぎた頃、財界10位圏グループのトップはこんな話をした。「李在鎔副会長に何と言うべきか考えてみたが、話す言葉がない。私が全く体験したことのないその大所帯しについて何の知識も経験もないからだ」。そして再び1年。過去2年の功罪を測る精密な秤は自分にもない。ただし古い秤を変えなければならない時にはなった。

サムスンに対する大衆の秤は二重的だ。愛憎といっても構わず、むち打ちだと言っても差し支えなく、妬みだと言ってもそれだけのことだ。しかし「柿を置け」「梨を置け」(※他人のことに余計な口出しをすること)という了見ならばそれは違う。ちょっと力を使う方々はたまに「サムスンは単にサムスンなのではない」という話をする。国全体のことを考えろという総論に文句をつける理由はない。ところでこの指摘は概してこのように続く。「サムスンが系列会社を売って社員を減らすことは間違っている。そうすれば全て萎縮する。サムスンの影響力を考えるべきであり…」。

 
私はこの秤が古くなったとみている。サムスンが好きでも嫌いでも、李副会長がうまくやろうがやるまいがサムスンは韓国経済の中枢だ。だが守護者ではない。いや、そうすることはできない。サムスン電子の国内の売り上げ割合は10%に過ぎない。それだけグローバルになった。経済の守護者のふりをしていてはサムスン自体も守れない。かえってサムスンは変化にもっと最適化しなければならない。誰もが青筋を立てているようにサムスンはもっと創意的でなければならない。そうするにはもっと身軽にならなければならない。そうするにはもっと大胆にならなければならない。それが韓国経済にとっても得だ。社会的責任は、公益活動と遵法経営を通じて尽くせば良い。

もう1つ捨てるべき秤は、神話に対する郷愁だ。成功したすべての企業の創業者は伝説となる。企業を輝かしく成長させた経営者の言葉と行動は、神話として残るはずだ。

しかしそこまでだ。デジタル経済は、それゆえ融合に融合を重ねて複雑になった経済では、そのような神話的リーダーはいない。サムスン内部にビッグボスへの未練があるならば、はやく捨てるべきだ。ビッグボスはビッグエラーを生むにはちょうど良い。リーダーは、各部門の創意性を指揮できれば良い。この点で私は、李健熙(イ・ゴンヒ)会長の大きな業績の1つが事業部別の責任経営制だとみている。ここにスタートアップ精神を負わせようとする現在の努力もやはり評価されるに値する。ところでサムスンをみる秤には、依然として「伝説的経営者」のおもりがある。

この秤は古い。財閥の独善をののしりながらも依然として全能なトップを望むのは矛盾している。まるで朴正煕(パク・チョンヒ)時代を描きながら現在の大統領を選んだことと同じ論理だ。この秤で時々サムスンを測れば、サムスンは決して挑戦することはできない。失敗が容認されないためだ。

からんだ糸をほどかなければならない所はサムスンだ。李副会長が実質的に経営し、実際に責任を負っているならば、法的要件を備えることに躊躇する理由はない。李副会長の登記理事の登録は古い秤を変える第一歩だ。

キム・ヨンフン デジタル制作室長

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