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【時視各角】「セウォル号の真実」は大統領の義務だ=韓国(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2016.04.20 14:39
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土曜日の夜、ソウルの光化門(クァンファムン)広場には雨がはげしく降った。足が、ふくらはぎが、肩がぬれ始めた。豪雨の中でも焼香所へと向かう5、600メートルの列は乱れなかった。1人ずつ304人の遺影の前に白い国花(菊)を置いた後、頭を下げた。右側の「記憶せよ0416」展示館では、写真1枚が追悼者の歩みを止めた。「彭木(ペンモク)港の遺体確認所」。長いテーブルに毛布を覆い、その上にビニールをまいて作った2つの空っぽの寝床だった。

「真実の力、セウォル号記録チーム」が出した『セウォル号、その日の記録』で最も胸が痛んだ部分は、2014年4月16日に救助する時間は充分にあったという指摘だった。セウォル号が左舷に約30度傾いた午前8時50分、イ・ジュンソク船長が退船命令を出していたら8時55分ごろに476人全員が脱出できた。セウォル号の船員が海洋警察123艇に上がった9時45分に退船命令が出されていたとしても、大部分の人たちを救うことができた〔嘉泉(カチョン)大学パク・ヒョンジュ教授の報告書〕。

 
救助する余力もあった。9時20分にタンカーに続き漁業指導船と漁船が相次いで到着した。9時40分、チョンナム707号、9時45分ドラゴンエース11号、9時50分エース号、珍島(チンド)号…。当時の海域水温は12.6度。ライフジャケットを着て海に浮かんでいるだけで6時間まで持ちこたえられた。だがセウォル号の船員は、123艇の海洋警察は退船命令を出さなかった。「船内で待機せよ」という放送は12回も続いた。子供たちが船外に出てこなかったのは「概念がなくて」でも、「考える習慣がなくて」でもなかった。

その日の夜、光化門広場に座っていた数千人は薄いビニールガッパだけで豪雨をしのいだ。広場に出てこなかった人たちの胸にも雨が降っていただろう。多くの人々がセウォル号を忘れたがる理由は、思い出すほどに心が痛くて辛いためだ。だが忘れたいと思っても忘れられる問題ではない。次は私の順番、私たちの順序かもしれない。


【時視各角】「セウォル号の真実」は大統領の義務だ=韓国(2)

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