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【コラム】「朴槿恵政治」アジェンダ(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2016.03.31 16:41
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YS〔金泳三(キム・ヨンサム)〕の言葉が思い浮かんだ。セヌリ党代表の金武星(キム・ムソン)のためだ。YSの大統領退任後の2001年。私はキム・ジョンウォン博士(元外交部本部大使)の自宅に招待された。その夕食の席にYS夫婦が参加した。元大統領は彼の45年間の政治を回顧した。秘め事が混じっていた。彼は自身の運命の話も出した。

私は内閣制覚書の問題について尋ねた。1990年その問題は私の特ダネ記事から始まった。その年の10月に覚書のコピーが報道された。その時YSは民自党の代表最高委員。党総裁は盧泰愚(ノ・テウ)大統領だった。覚書は盧泰愚・金泳三・金鍾泌(キム・ジョンピル)の3人の内閣制の約束だ。YSは覚書の存在を否定した。それは真実を覆った。YSは危機に追い込まれた。彼は故郷の馬山(マサン)に下っていった。YSは「馬山に行った時が峠だった」と思い出していた。彼はふと悲壮な表情になった。こんなふうに話した。「政治で一番重要なのが決断の勇気…決断すべき時にしなければ、政治と政治家がいずれも不幸になる」。

 
政治は不確かなゲームだ。勝敗は大義名分と同情心で分かれる。その要素は言語で作動する。同情心は痛みの同質感だ。歴史の前進に同行する連帯感だ。韓国人は概して弱者側だ。弱者に謙そんと抵抗、奮闘のイメージがつけば必勝だ。

覚書問題は政治史の重要なゲームだ。YSの勝利は同情心の確保によって可能だった。YSの最初の対応は焦点の移動だった。彼は「政権が私を枯死させようとしている」と言った。その直言は感性を刺激した。彼は分断を覚悟した。その勝負の賭けは迫害される印象を大きくした。盧泰愚の民正系はお粗末なものだった。覚書署名の真実ゲームへ推し進めることができなかった。民正系は封じ込めの引き分け戦へと出て行った。そのため彼らの話は平凡だった。状況は逆転した。

「玉璽闘争」はその場面の模倣だ。金武星(キム・ムソン)はYSを政治的な父としている。セヌリ党公認の結末は金武星の逆転劇だ。金武星は釜山(プサン)の影島(ヨンド)橋に立った。金武星は「国民だけを見渡す」と言った。その確約は26年前のYSの話だ。大邱(テグ)東乙はセヌリ党無公認地域だ。金武星の判定勝ちのおかげだ。それは朴槿恵(パク・クネ)の政治アジェンダの挫折を意味する。そのアジェンダは背信の政治審判論から始まった。報復対象は劉承ミン(ユ・スンミン)だ。最後はあきれたものだった。劉承ミンの帰還は容易になった。


【コラム】「朴槿恵政治」アジェンダ(2)

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