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<貧困死、変死現場を行く>(上)国科捜72時間同行取材=韓国(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2016.03.24 16:40
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「平均年齢62歳。10人中9人が貧困と孤独に苦しめられた無職男性」

最近1年間でソウルの江西(カンソ)・陽川(ヤンチョン)・九老(クロ)の3区で発生した変死の平均的な姿だ。国立科学捜査研究院(国科捜)が昨年3月から今年2月までこれら3区で「死体現場検案」を行って作成した990件の死体検案データを中央日報が入手して分析した結果だ。

 
分析の結果この地域の変死者10人中9人(95%、943件)は、無職か日雇い労働者だった。1人暮らしの高齢者・障害者ら貧困に苦しむ低所得層が多かった。最も幼い変死者は満1歳の女の子で生後53日だった。13年目に授かった初めての子を、実母が夫との育児問題で争って溺死させたケースだった。変死990件のうち他殺・自殺・事故死などの「外因死」は351件、「病死」は325件、「死因未詳」 312件などだった。

特に変死者4人中1人(242人、24.4%)は自殺だった。「絶望と挫折による死」が多く、細やかな社会的セーフティネットの構築が急務だという指摘が出てくる理由だ。国科捜のイ・ハンヨン法医官は「1年間にわたり現場検案をする中で、裕福な家はちょうど2回行き、残りは社会的弱者だった」として「彼らは死ぬ時にも疎外されていた」と話した。

「proba mortem(死を立証せよという意味のラテン語)」

国立科学捜査研究院(ソ・ジュンソク院長の法医官たちは毎日、変死者などの死因を立証するために事件・事故現場へと駆けつける。命の最後の敷居を越えた死者のそばで遺体を調べて死の原因を究明する。寂しく命を終えた孤独死の遺体から殺害された遺体まで。中央日報が国科捜法医官の72時間を同行取材した。

2月15日午後2時57分。ヤン・ギョンム法医官(48)がソウル陽川区の国科捜ソウル研究院事務室で解剖検査の鑑定書を作成していた。突然、騒々しい携帯電話ベルの音が静寂を破った。

陽川警察署刑事チーム所属の警察官が差し迫ったように「変死事件発生。40代男性が梨大(イデ)木洞(モクトン)病院に運ばれた後に死亡した」として出動を要請した。検案装備をまとめてヤン法医官が建物を出た。後ろに従って国科捜車両に同乗した記者に、彼は「正確な死因究明のためには1秒でも早く到着することが重要だ」と話した。

15分後に到着した梨大木洞病院の応急室。遺体は青白く固まっていた。応急処置のためにメスで切り出した衣類、心肺蘇生術の装置、口から流れ出た体液がベッドに煩わしく散在していた。最後の瞬間に残したい言葉でもあったのだろうか。身長165センチ、やせた体格のカン氏(44)は口を半分ほど開けたまま両目を閉じていた。

彼はソウル木洞のある古びた医院の1階階段で発見された。ひざまずいて顔を下げたままだった。応急室に運ばれたが意識は回復しなかった。

ヤン法医官がカバンから長さ12センチのピンセットを取り出した。まぶたをひっくり返して瞳孔の状態を確認した後、体に現れた屍斑(死亡後に出てくる赤紫色の斑点)をチェックした。手足がよじれた遺体をまっすぐに伸ばすと関節があたる鈍い音がした。そばにいた警察科学捜査隊(科捜隊)の検視官が口を開いた。「発見当時、服から封筒が発見された。1つ変なのは携帯電話と財布がなかったことだ」。

話が終わるやいなやヤン法医官が強盗事件かもしれないとして遺体の後頭部や体のあちこちを調べた。だが遺体はきれいだった。「傷はないが急死と断定するわけにはいかない」。

約30分後に検案が終わるとヤン法医官は直ちに事件現場である近くの病院に移動した。さらに、歩いて2分のカン氏の自宅(多世帯住宅)に向かった。部屋の床には1カ月分の薬の封筒と喘息吸入器が乱雑に散らかっていた。カン氏は7年前に離婚後、ここで老母と暮らしていた。最近、高血圧・呼吸器疾患で苦痛を訴えていたと隣人たちは証言した。ヤン法医官は死体検案書のサイン欄に「未詳」と記した。検察・裁判所の判断により検死の有無が決定される。


<貧困死、変死現場を行く>(上)国科捜72時間꾓行取材=韓国(2)

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