【時視各角】サムスンの李在鎔はどこまで変わるか(1)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2015.12.08 11:30
李健熙(イ・ゴンヒ)サムスン会長と言えば思い浮かぶ語録は「妻と子どもを除いてすべて変えよ」だ。李会長は1993年6月にドイツのフランクフルトで「新経営」を宣言した。それまでの「量」中心から「質」を中心に経営方向をがらりと変えた。ここまではだれもが知る事実だ。しかし李会長の新たな構想は1日で完成されたのではない。サムスングループの核心にいた人たちは1987年12月1日を忘れることができない。李健熙会長は李秉チョル(イ・ビョンチョル)会長が死去した2日後の11月19日のグループ社長団会議で新任会長に推戴されたのに続き正式に就任した日だ。当時李会長は46歳。
就任あいさつは予想を抜け出さなかった。「創業者の遺志を継承し事業報国・人材第一・合理追求の経営理念をさらに発展させる」と述べた。以下はその次の場面をたどったサムスン核心の人たちの記憶だ。「湖巌(ホアム)アートホールの就任式が終わった後、会長執務室に核心社長らと秘書室関係者らが集まりました。李会長はソファのナプキンを1枚取り出すと半分にたたみ、さらに半分にたたんでこのように話しました。『先代会長はこうした管理のサムスンを作りました』。そしてそのナプキンを突然ずたずたに破り、『私はサムスンをこのようにがらりと変えるつもりです』と言いました」。就任あいさつの片隅の「90年代までにサムスンを世界超一流に成長させる」「第2の創業に出る」という誓いが尋常でなく迫ってきました。