주요 기사 바로가기

「秋に会いたい男」朴相元

2001.11.05 11:45
0
つまらない番組も多いテレビだが、その中で安らぎを与えてくれる人に会う楽しみまでを否定することはできない。隣に善良な人が住んでいるということも素朴な幸せだ。朴相元(パク・サンウォン)のイメージがまさにそうである。『黎明の瞳』で彼はチェ・デチ(崔宰誠)のようにへびを噛んだりもしなかった。『砂時計』で「おれ今、震えているのか」と尋ねたテス(崔民秀)のように悲壮感を作ったりもしなかった。彼が演じたチャン・ハリムやカン・ウソックが世の中の渦を避けていたわけではないが、それに刺激や絢爛さで対抗したりはしなかった。

生きていくうちにある地点で気付くようになるだろう。世の中には平均的な人が多いはずだが、実像はそうではない。過剰だったり不足した人が思いのほか多い。オーバーな人と足りない人の総合が平均を作るわけだ。彼には平均や平凡よりむしろ平静が似合う。

 
私がテレビプロデューサーの生活を始めたころ、彼もやはり放送界に入門した。そのせいかいつも「同期」のような気がする。内気な青年だった彼は、教養局のプロデューサーが作る粗雑なミュージックビデオの主人公を演じた時も、いま連続ドラマの主人公として会っている時も、相変らず控えめで用心深い。最初と最後が異なったり、カメラの中と外で全く違う人が多いが、彼は常に穏やかである。

長い間ドラマの中心人物として生き残れるというのは、演技力と幸運に加えて「プラスアルファ」があるからだ。 

「常に危機意識を持って生きています。拍手の音でごう慢になれば、それで終りだと思っています。カメラ・照明・衣装・扮装によって撮られ、照らされ、着せられ、塗られたりするけど、それだけに依存するのは危険です。自ら輝いているためには常に緊張して生きていなければなりません」。

油断が演技者にとっては最も大きな敵だと語った。彼の穏やかさが、そのナチュラルさがこうした緊張の産物だったと考えると、彼がさらに大きく見える。彼にも危機が迫った時期があったのだろうか。

「危機はテロのように予告がありません。私は危機だと感知する度に、それをいくつかに分けて対応していこうと努力します」。ゆっくりと、しかしはっきりと話す彼はプロだ。プロのにおいがしないプロ。真のプロにはアマチュアの情熱が化石のように残っている。彼は叙情と叙事が共存するキャラクターだ。個人の純潔な欲望が、社会や歴史の奸計(かんけい)と衝突する時、その間で苦悩する人間の顔を彼はよく表現してきた。

いま彼に与えられた配役は『秋に会った男』だ。彼が過ごしてきた夏は凡常なものではなかった。秋の香りが作られた理由があるはずだ。良い贈り物は、包装紙を1枚ずつ開けていく度に感心させるものだ。あまり知られていないが、実は彼は韓国現代舞踊の男性ダンサー第1号だ。1970年代末、彼はキム・キョンオック現代舞踊発表会で舞踊家として初めて舞台に登場した。踊るカン・ウソック検事を連想してみたらいかがだろうか。 

「その時、汗の大切さに気付きました。濡れたTシャツから汗を絞り出す喜び。経験してみないと分からないはずです」。いま朴相元からそれとなく感じられる秋の香りは、汗を流した後の爽快さが与えた貴重な贈り物なのかもしれない。

最新記事

    もっと見る 0 / 0
    TOP