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【コラム】<韓国人はなぜ>MERSから学ぶべきこと

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2015.06.15 09:42
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滅菌していないラクダ乳を飲むことが危険だとは知らなかった。気圧差を利用して外部の感染を防ぐ陰圧病床というものが存在することも知らなかった。咳をする時は腕で口を覆ってこそ迷惑にならないということも初めて知った。世の中には私の知らないことが多いということだけは分かった。

中東呼吸器症候群(MERS)という耳慣れない単語を聞くようになったころ、地下鉄の中でくしゃみをしただけで隣に座っていた年配男性が私をにらむということは想像すらできなかった。足を広げてまま生唾を飲み込みながら若い女性乗客をじっとりと舐め回すように見る男性をにらむのは私の役割だったはずなのに。MERS前後の地下鉄の風景の中でなぜか少し悔しい。だが、私の悔しさは名刺も差し出せないことだ。MERSの影響で観光客が半分以上減ったと言って困っている観光地・仁寺洞(インサドン)の飲食店の女主人や、「人々が外に出ないので渋滞がなくてよいが客足が30%も落ちて大変だ」とため息をつくタクシー運転手だけではない。この地で育ったのに、ラクダであるという理由だけで隔離されたソウル大公園ラクダは、また、どうなのだろうか。

 
互いが互いを信じられず、恨み、疑う。MERSそのものよりも、こういうことがもっと恐ろしい。「恐れは魂を喰い尽くす」とは、ドイツ女性と20歳年下のモロッコ青年の関係を扱った1974年作のドイツ映画だけが知っていた。しかし、21世紀の大韓民国各地から不安が出てきて私の隣の乗客や後ろの乗客の魂まで蝕んでいる。「MERS」という種が「不安」を肥しにして「敵対感」という実をつけつつあるようだ。

ずっと前から知っていたと主張したいが、このコラムを書きながら調べてみると「不安の哲学」というものがあった。デンマークの哲学者セーレン・キェルケゴール(1813~55)は不安を重要な哲学的問題でとして認識していたという。キェルケゴール式の不安の哲学には希望の芽がある。彼は「人間は不安の教化を受けて和解を成し遂げ、平安な心の状態を得ることができる」とした。「不安」という感情と正面から向き合うことによって、自分と他人の間の和解が成し遂げられるとするのは行き過ぎた解釈なのか。MERS発の不安もいつかは収束する時がくるだろう。その時、私たちはMERSから何を学んだと言うべきか。互いを嫌う方法やにらむ方法だけを学んだというならば、モンゴルのラクダでなくても悔しいではないか。このコラムを書いている行きつけのカフェのスタッフがヒントをくれた。MERS事態以降、唾が飛ぶのを防止するプラスチック保護マスクをしながらオーダーを取っている彼に対し、「不便ですね」という挨拶をするとにっこりと笑ってこう答えた。「手ももっとしっかり洗うようになり、もっと清潔なカフェをつくることができていいですよ」。マイナスをプラスに変えるこのカフェ。一生、通うつもりだ。

チョン・スジン政治国際部門記者

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