주요 기사 바로가기

【コラム】これがどうして区々とした感情の問題だろうか=韓国(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2015.03.09 16:39
0
3月1日、独立宣言書を改めて読んでみた。歴史の流れを冷静に眺めながら民族の決意とその後進むべき道を明確に提示した三・一独立宣言書は、とにかく秀麗で厳粛なその文章に圧倒され、感激する。日帝に国を強奪されて9年、第1次世界大戦が終わった直後のもどかしく混乱した雰囲気の中で、どのようにあれほど明哲な状況判断と対処案を堂々と公布できたのか、我々はただ、先祖に誇りを感じ、敬意を抱く。何よりも我々の独立宣言書は、ある権力者や政治集団の作品ではなく「2000万人の民衆の誠忠を合わせて」出てきたということに歴史的な意味がある。「全人類の共存同生の権利の正当な発動」として独立を宣言し、世界史の本流に乗って地球村の発展と軌道をともにする基本方向と戦略という貴重な遺産を我々に残してくれた。

旧時代の遺物である西洋帝国主義の植民化悪習を模倣し、数千年にわたり一緒に歩んできた隣国を侵奪した日本の無信をとがめようとせず、少義を責めようとしないのは、単に絶体絶命の状況に追い込まれた弱者がむしろ毅然とした姿勢に固執する消極的な抵抗ではなく、北東アジアの韓日中3カ国が確実な共倒れの道に入っていることを警告する厳重な判断の結果だった。すでに10年前の1909年に旅順の監獄で死刑を待っていた安重根(アン・ジュングン)義士が『東洋平和論』執筆に没頭したのも、まさにこうした東洋3国の共生・共栄方向を提示するための生涯の努力だった。独立宣言書の名句のように「これがどうして区々とした感情の問題であろうか」。

 
それから100年、数多くの屈曲を乗り越え、グローバル化の流れの中で21世紀の中心地域に浮上するよう見えたアジア、特に北東アジア国家が共生・共栄の地域共同体に発展できないまま、むしろ旧時代の遺物である反目と分裂の兆しが深まる不吉な事情が展開されている。こうした政府間の退行的な流れにもかかわらず、一般国民の良識レベルでは真摯な反省と東洋平和へ向けた望みが生きて呼吸するような気運を感じるなら、過度な楽観論にまひしているのだろうか。

新年1月1日付の日本経済新聞の社説が良い例だ。第2次世界大戦終戦から70年となる今年は、戦争への反省をふまえ、平和国家としての70年の歩みをあらためて確認し、視線は過去ではなく未来に向けられていなければならないと強調した。日露戦争の直後、当時のエール大教授だった史学者、朝河貫一が祖国日本を心配し、1908年に著述した『日本の禍機』で、「日本国民はその必要の武器たるべき、健全なる国民的反省力を未だ研磨せざるなり」と警告した部分を引用し、「それから1世紀。われわれは反省力を研磨しただろうか」と読者に問いかけた。


【コラム】これがどうして区々とした感情の問題だろうか=韓国(2)

関連記事

最新記事

    もっと見る 0 / 0
    TOP