【コラム】柔らかい朴槿恵が疲れた朴槿恵を救う(1)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2015.01.21 09:15
ワンピースを着た朴槿恵(パク・クネ)が「セマウルの歌」を歌った。父の朴正熙(パク・ジョンヒ)大統領が作詞・作曲し、1970年代を支配した話題である近代化を象徴する歌だった。父とソウル大音大生の妹の槿令(クンヨン)、中央高に通う弟の志晩(ジマン)、親戚の金鍾泌(キム・ジョンピル)とチャン・ドクジンも一緒に歌った。75年1月22日、祖母のイ・ギョンリョン氏の80歳の誕生日パーティーはこのように行われた。イ氏は5カ月前の74年8月15日、在日同胞の文世光(ムン・セグァン)に暗殺された陸英修(ユク・ヨンス)夫人の母であり、朴正熙の妻の母だ。
西江大電子工学科を理工学部首席で卒業し、パリに留学中だった朴槿恵は、学者の夢をあきらめて帰国し、母の代わりにファーストレディになった。衝撃のため「しばらく生ける屍のように過ごした。生理が止まり、免疫力が落ちた」と自叙伝に書いている。誕生日パーティーで朴正熙は「片思い」を歌った。妻を亡くした悲痛さが見えた。朴槿令は照れくさそうに「鳩の家」を歌った。しかし22歳のファーストレディは誕生日パーティーという極めて私的な席ですら感情を表す余裕がなかった。