121年間さまよった東学軍指導者の遺骨、安息所見つけるか
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2015.01.09 15:38
120年以上放置されていた東学農民軍の指導者の遺骨が戦跡地である全羅北道井邑市黄土峴(チョンラブクド・チョンウプシ・ファントヒョン)に安置される可能性が高くなった。監査院が8日「東学農民軍の指導者の遺骨の安葬事業の推進が不適正だ」として金鍾德(キム・ジョンドク)文化体育観光部長官に「遺骨安葬事業を円滑に推進する案を用意せよ」と通知したためだ。
1894年の東学農民革命当時に斬首された農民軍指導者の遺骨は121年間、故国に埋められることなくさまよった。理由は1906年に遡る。その年の9月、日本人の佐藤政次郎が全羅南道(チョンラナムド)珍島郡(チンドグン)で偶然遺骨を発見した後、無断で搬出して日本の北海道大学に移した。1世紀近く忘れられていた遺骨は95年、北海道大学研究室の倉庫で日本のアイヌ民族の遺骨5体分とともに発見されて世の中に知られることになった。遺骨には「1906年珍島でさらし首にされた韓国東学党の首魁の首級、佐藤政次郎から」という文字が記されていた。韓国では返還運動が起き、北海道大学もやはり返還に協力して96年5月に国内に送還された。故国を離れて90年ぶりだった。しかし地面に埋められることができず故国でも全州(チョンジュ)歴史博物館の収蔵庫に18年以上放置されていた。