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【時視各角】グッバイ、ベック、グッバイ「危険社会」=韓国(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2015.01.09 14:18
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現代の社会学界の巨大な峰、ウルリッヒ・ベック氏が死去した。過去数十年間、韓国内でこれだけ名を知られた海外の学者も珍しいだろう。彼が『危険社会』を出したのは1986年だった。彼の考えが本格的に紹介された頃の90年代初期、国内には大型惨事が相次いで起きた。西海フェリー号沈没、聖水(ソンス)大橋崩壊、旅客機墜落、三豊デパート崩壊など大規模な災難がそのころに広がった。開発途上国からちょうど抜け出す段階に、圧縮成長に妨げられていた不良が頭をもたげていた。

惨事が起こるたびに韓国メディアはベックの危険社会を習慣的に取り上げて、その原因と背景を説明しようとした。そうするうちにベックと危険社会は世界じゅうのどこよりも韓国で名をはせることになった。追従者の隊列の中には当時、事件現場をうろついていた私も立っていた。だが、その時の惨事は、ほとんどがベックの危険社会とは関係が遠い原始的な事故だった。「危険社会」という表現が与える魅惑のためにそれほど合っていない事故にも引用して使う。ベックの考えは、単純事故の使用説明書として使うには重みのある内容を含んでいる。自分なりに説明すれば、ベックは大きく3つの過程を打破しながら危険社会の輪郭をとらえていた。

 
◆過程1、現代の科学技術は人類をさらに安全にするのか。違う。高度な技術が高度な危険性を作る。原子力発電のように巨大な技術複合体が人類によって大きなリスクを抱かせる。

◆過程2、危険性は統制できるか。違う。「先端技術でリスクを避けられる」「確率的にとうてい起きにくい」という予測は、常にはずれる。日本の津波が代表的だ。

◆過程3、リスクに国境はあるのか。やはり違う。グローバル化の進展と事故の大型化でリスクの境界は崩れている。日本の原子力発電所事故の余波は東アジア全体を威嚇する。

このように危険社会を支える要素は高度な技術と不確実性、グローバル化だ。別の表現をすれば、人類の誇らしい業績と感じていた「近代性」を根本的に振り返ってみようというのが危険社会論の核心だ。単純な事故まで危険社会と結びつけてきた慣行は、過用に間違いない。それならば今後、韓国社会でベックの説明力は弱くなるのだろうか、いや、そうではない。雪を見ることがほとんどなかった慶州地域に大雪が降ってリゾート施設が崩壊し、高度な技術の集約体と言える超大型船舶が思いもよらず転覆し、顔のないサイバーテロによって公共機関・報道機関のサーバーがダウンするなど最近の惨事は、過去の事故よりも危険社会論によってよりうまく説明できる。


【時視各角】グッバイ、ベック、グッバイ「危険社会」=韓国(2)

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