【コラム】韓国社会、自然ではない死について黙想しよう(1)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2014.08.25 13:31
この頃、街中で遠慮すべき挨拶の言葉が「好喪(ホサン、長生きして幸せだった人の葬儀)」ではないかと思う。長く生きて幸せに過ごす基準が大いに変わったということだ。100歳の長寿時代にいったい何歳でどのように死んでこそ好喪の範疇に入るのか、困惑することこの上ない。
好葬の反対側には「惨喪(チャムサン)」がある。若くして亡くなった人の葬儀の名だ。これもまた基準を決めるのがあいまいだ。長く生きることになっても惨状は増える。自殺率が日に日に高まるのは言うに及ばず、事故死や変死も絶えない。戦争をするのでもなく、内乱が起きたのでもないのに、なぜ人々が次々に死んで倒れるのかと気が遠くなってしまう時がある。