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<旅客船沈没事故>生徒5人、教師2人、一般人3人…彼らはいまも待っている

ⓒ韓国経済新聞/中央日報日本語版2014.07.20 13:15
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「あなたの肩をもんであげたいけれど、いつも心だけはあなたのそばにいます…きょうもお疲れさま。愛するあなた」。

セウォル号沈没事故で犠牲になった檀園高校2年生のイ・ダウン君が作曲した歌「愛するあなた」。この曲に歌詞を付けたナム・ヒョンチョル君(17)はまだ陸に戻っていない。「私の心臓だ」と言う息子を待ち父は珍島(チンド)の彭木(ペンモク)港に息子のギターを持ってきた。ギターには「そろそろ家に帰ろう」と書いた。ナム君のようにまだ家族の元に戻っていない行方不明者は19日現在、檀園高校の生徒5人、教師2人、一般人3人の10人だ。

 
ナム君と同じクラスのパク・ヨンイン君も依然として冷たい海の中にいる。パク君は事故翌日の4月17日に見つかったとされたが、後にイ・ダウン君に訂正された。当時イ君の財布からパク君の学生証が見つかったためだ。パク君のサッカーシューズは依然として防波堤に置かれたままだ。

「船からまだ出てこられない子どもたちの世話をするために出てこないようだ」。子どもが好きで幼稚園の先生になるのが夢だったホ・ダユンさん。彼女の父(50)は彭木港に残り、娘が好きだったのど飴の箱をいじるばかりだ。暮らしが苦しいことを知り一度も小遣いを要求することのなかった優しい娘だったという。黄色いニットを着た娘の明るい笑顔は家族の写真の中にだけ残されている。

毎朝ほほに口づけしてくれて娘チョ・ウンファさん(17)の母イ・グムヒさん(45)は一時合成映像のために“父兄を装った扇動屋”として扱われたりもした。修学旅行費が32万7000ウォンに上ることをすまながっていた娘は「船が45度に傾いた」という言葉だけ最後に残しまだ帰っていない。結婚から7年でようやく得た娘を失ったというファン・ジヒョンさん(17)の母も彼らと一緒に彭木港で子どもの帰りを待っている。

ヤン・スンジン教諭(57)とコ・チャンソク教諭(43)は依然として子どもたちがいたセウォル号4階付近にいると推定される。ヤン教諭は学生時代に相撲選手になるほど体格が良かった。生活部長を務め子どもたちを指導していた。コ教諭も人命救助の資格を持つほど水泳が上手だった。9年前に学校で火災が起きた時も真っ先に子どもたちを救いに入ったという。2人とも救命胴衣を着用していなかったと生存した生徒らは証言している。

クォン・ジェグンさん(52)は5年にわたりビル清掃の仕事で貯めた資金で引っ越すところだった。6歳の息子ヒョッキュ君とともに冷たい海からまだ戻ってこない。ベトナムから嫁入りした妻(29)の葬儀は彭木港の身元確認所に安置されてから85日が過ぎた今月16日に行われた。家族で唯一の生存者となった5歳のジヨンちゃんは伯父が引き取った。

クォンさんの家族のように済州(チェジュ)に新居を構えたイ・ヨンスクさん(53)もまだ海の中だ。少し前に西帰浦市(ソグィポシ)にあるカジノに初めて正社員として採用されたという。(中央SUNDAY第384号)

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