忘れられた10万人学徒兵、報勲団体の認定も受けられず=韓国(1)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2014.06.25 14:59
「祖国を愛する学徒よ!祖国の運命は皆さんの手にかかっている。行こう!キム・ソクウォン将軍の部下として!」
焼きつけるような陽射しが照りつけていた1950年7月25日。全国各地から集まった数十万の避難民で人だかりになっていた大邱(テグ)駅の一角には、このようなげき文が張られた。げき文の前には戦争勃発3日後にソウルが陥落されて後退する国軍と一緒に我を忘れて下ってきた学生たちが次から次へと集まり始め、こうして集まった80人余りは大邱駅前の東亜ビル2階に用意された学徒義勇隊臨時事務所を訪ねて行った。6・25という累卵之危の危機から大韓民国の死守の一端を担った学徒兵はこうして誕生した。士気は高かったが、まともな武器も訓練もなかった。キム・マンギュ学徒義勇軍6・25参戦記念事業会会長は「1週間後に日本軍が残して行った旧式小銃と個人1人あたり50発の実弾が支給された」と話した。