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【中央時評】統一大チャンスは利益であり崇高な義務=韓国(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2014.03.10 17:08
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約10年前のことだ。「それでも統一列車は走るべき」というコラムを書いた。6・15共同宣言以降に生じた深刻な韓国内の葛藤の渦中だった。我々も統一に向かう列車をドイツのように走らせることができないだろうかという思いからだった。

当時、政治学の教科書のある文章が目を引いた。「ドイツで列車に乗れば機関士と乗務員だけでなく、乗客も一緒に勤務しているという印象を受ける」というものだった。教科書の記述のようにドイツでは実際に政府と国民が力を合わせ、終着駅である統一に列車を無事に到着させることができた。

 
しかし不幸にも我々の統一列車は出発するやいなや脱線した状態だ。列車内部の混乱のためだった。6・15共同宣言以降も赤化統一の亡霊が国民の頭の上をはいかいしたからだ。このような渦中に北朝鮮のウラン濃縮疑惑が浮上した。危機管理の問題が国家的な課題に浮上しないはずはなかった。自然統一の議論は弱まり、若い世代の統一観には変化が起き始めた。

1972年7・4南北共同声明に接した張俊河(チャン・ジュンハ)先生はこう語った。「統一以上の至上命令はない」と。「分裂した民族、2つに分けられた自己を一つに統一する以上の命題はない」と説明した。統一のための犠牲は崇高な道徳的な義務であり名誉だった。しかし今、こうした命題はもう通用しない。ソウル大統一平和研究所の調査によると、民族同質性回復の観点で統一を至上命令という見方は減り続けている。その代わり経済先進化や戦争防止のような手段的な観点で統一を眺める世論が大勢だ。利益にならない限り、統一はもう犠牲を要求できる至上命令でない。

朴槿恵(パク・クネ)大統領の統一大チャンス論は、こうした時代的な流れを反映しているようだ。経済的な利益を強く刺激している。ジャックポットという初期の英語翻訳の影響のためかもしれない。ジャックポットとはギャンブルで突然発生する幸運だ。このため「北朝鮮崩壊切迫」を予想した統一ファンタジー現象まで表れている。

しかし別の一方で、統一大チャンス論は、これまで弱まった統一談論に再生の火をつけている。利益レベルの統一談論を道徳的使命のレベルに一段階アップグレードできる転機を提供していたりもする。

社会哲学者マイケル・イグナティエフはこう述べた。「人間は生まれながら自分自身を人間と意識するわけではない」。子どもとして、部族の一員として、そして隣人との関係の中で、人生の意味を発見するということだ。その指摘通り、我々は民族共同体の一員として、人生に与えられた意味を感じて生きてきた民族だ。しかし今、こうした意識は弱まっている。目前の利益に押し出されているのだ。


【中央時評】統一大チャンスは利益であり崇高な義務=韓国(2)

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