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元勤労挺身隊の女性、日本の高校生と固く抱きしめ合う

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2013.12.25 14:29
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「10歳のときだった。地震のために工場が崩れ、必死に飛び出した後に戻ってきたら建物の入口で同僚2人が下敷きになって死んでいた。友達と抱きあって泣いて、体の震えがとまらなかった」。

24日午後、光州(クァンジュ)広域市の治平洞(チピョンドン)非政府組織(NGO)センター教育室。日帝強制占領期間に勤労挺身隊として三菱重工業の名古屋航空機製作所に連れて行かれ、1年5カ月間の強制労働をしたヤン・クムドクさん(82)が当時体験した出来事を語った。聞いていた6人の青少年の一部は手で涙をぬぐっていた。日本の名古屋から来た高校生だった。

 
ヤンさんの話は続いた。「中学校に行かせてやるという憲兵の話を信じて日本に行ったのに、一日中飛行機にペンキを塗らされた。あまりにもお腹が減って他人の畑からナスをとって食べたこともあった」。

30分間、生徒たちはヤンさんの体験談を静かに聞くだけだった。ヤンさんは「故郷に戻っても色々な蔑視を受けて涙のうちに歳月を送ったが、今回、裁判に勝った」と語った。先月、光州地方裁判所が「三菱重工業はヤンさんら勤労挺身隊被害の当事者4人に1人あたり1億5000万ウォンずつ、遺族には8000万ウォンを支給するように」と判決したことについての話だった。

ヤンさんは「反省しない日本が謝罪するように、日本の生徒さんたちが助けてくれたらうれしい」という言葉で話を終えた。話を聞いていた女子生徒(17)は「勉強をしたいという子供を戦争に利用した過去の日本の帝国主義に怒りを感じる」として「約60年前にされたことで、いまだに胸が痛めているという事実を今分かった」と話した。別の女子生徒(17)は「メディアなどを通じて韓国を偏見の目で見る友人に、光州での経験をたくさん伝えたい」と語った。

この日のヤンさんと日本の高校生たちの出会いは「韓日青少年平和交流」の行事の一つとして行われた。平和交流は2010年から光州と名古屋の青少年が相互訪問する行事だ。日本で韓国勤労挺身隊の訴訟を助けた市民団体「名古屋三菱・ 朝鮮女子勤労挺身隊訴訟を支援する会」に2010年光州地域の生徒たちが支持する手紙を送ったことがきっかけだった。その年の訴訟支援会が韓国の生徒たちを招き、韓国では「勤労挺身隊と共にする市民の会」などが日本の生徒たちを招きながら毎年の定例行事となった。

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