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【噴水台】“国宝1号”南大門の復元…我々は先祖に顔向けできるのだろうか

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2013.11.13 16:47
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その瞬間、言葉を失った。2008年2月の火魔から5年3カ月ぶりに復元作業が終了したものの、半年で柱が裂け丹青が剥がれた国宝1号の崇礼門(スンネムン、東大門)の前に立った時、顔をしっかりと上げることができなかった。

今年6月に日本の金沢城と8月に水原(スウォン)の華城(ファソン)を各界の専門家と共に調査した時の様子が思い出された。前述の2カ所は伝統文化財ということ以外にも共通点がある。工事実名制だ。華城を見学すると、石材のあちこちに見えにくいがある文字が刻印されていた。一行を引率した茶山(タサン)研究所の朴錫武(パク・ソクム)理事長は「該当区間の工事責任者が誰なのかを示す標識」とし、「18世紀の正祖(チョンジョ)時代には、すでに工事実名制が施行されていたことを示すものだ」と説明した。朴理事長は「問題が発生したら標識を見て直ちに担当者を調べて責任を問えるようにした」とし、「昨今では特に必要な制度でないかと思う」と厳しい忠告をした。「その国王にしてその臣下あり」と思えるような、すばらしいアイデアを取り入れた正祖を主君とする作品にふさわしく、水原の華城は現在でも威容を誇っている。統一新羅時代、石窟庵(ソックラム)の建築主だった金大城(キム・デソン)は毎日礼を欠かさず真心を尽くして、1000年を経た現在にも伝わる天下の名品を作らなかったか。600年の崇礼門と1000年の石窟庵を、21世紀に生きる我々はなぜまともに復元・管理できないのだろうか。

 
金沢城も同様だった。どっしりとした一抱えの岩が城の入口に積み上げられていたが、それぞれの石が持つ異なる模様が鮮明だった。同行した忠北(チュンブク)大行政学の姜瑩基(カン・ヒョンギ)教授は「大名の前田氏が城を補強した際、各区間の石材調達と築城を引き受けた家臣一族の紋章を石に刻ませた」とし、「臣下である侍に一族の名誉をかけて工事を終えるよう責任を負わせたもの」と説明した。ガイドの説明によると、不良工事や拙速工事が発見された場合、該当の責任者は切腹して責任を負うことが原則だったという。非情に背筋が寒くなる話だ。管理と行政にも、命と引き換えるほど厳しい「匠の精神」を求めたものと言える。

さらに興味深かったのは伝統職人を再教育する「金沢職人大学校」だった。1996年に設立され、石工・瓦・左官・造園・大工・畳・建具・板金・表具など9つの分野の伝統技術を伝承し、その人材を育成する職人教育機関だ。同校の北浦理事長は「教養講義・精神教育・見学体験・技術伝授・練磨・総合実習製作で構成された3年課程の無料プログラム」と紹介した。経費は文化都市を標ぼうする金沢市からの支援と市民募金が充てられているという。職人の境地に達しても再教育が必要なのかと尋ねたところ、「匠の精神と技術は磨けば磨くほど一層光る」という言葉が返ってきた。我々にもリーダーシップと行政で匠の精神を育てる学校はないのだろうかと思い、一瞬言葉を失った。

チェ・インテク論説委員

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