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【コラム】江南スタイルと古い携帯電話=韓国(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2013.02.21 10:21
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時々英国・ロンドンの上司はこのように尋ねる。「韓国の時代精神は何か」と。だが、筆者は時代精神という言葉はちょっとどうかと思う。特に世界のメディアが「現在」という巧妙な単語でひとつの国全体を包装しようとするイメージを消すことはできない。果たして韓国人がすべて『江南スタイル』に興奮するのだろうか。そうでなければ韓国の人々がみんな経済民主化を合唱するのだろうか。ある国を外から眺める時、あいまいな部分が少なくない。ただ国民全体を見ればひとつの流れは引き出すことができる。たとえば筆者は英国人だ。ぱっと見では紳士のように見え、同時にサッカーに狂ったまぬけであるかもしれず、そして絶えず車に耽溺する変わり者のように見える(多分このうちただひとつだけが真実だろうが)。

もし韓国の時代精神を言えといえば筆者はひとつだけを取り上げることはできないと答えるだろう。だが、長く見てきてあえて目立った流れというならば、それは「郷愁」だ。外側から見れば韓国は未来にばかり没頭するように見える。絶えず情報通信の速度を引き上げ、高くてきらびやかな建物を作る。もちろん相当部分は真実だ。どれほどであれば韓国でスマートフォンを使わないと「やぼったい」(私はこの単語に対する文も書きたい)と言われるのだろうか。だが、筆者は韓国がだんだん過ぎ去った過去を暖かい愛情を持って眺めるのではないかと感じる。

 
私の友人である建築家の話だ。1980年代に彼は韓屋といえばやぼったい遺物程度と習ったという。最近では韓屋はお金が少しあり、何か芸術を理解する人ならば持つことができずいらいらする。ここにはおじいさんおばあさんの時代の家屋を懐かしがるロマンが込められている。当然西洋の現代作品であふれたギャラリーにも民画と風呂敷の展示で混雑となる。大衆文化で良い事例が「応答せよ1997」だろう。昔の韓国歌謡を聴かせるバーもあちこちにできている。


【コラム】江南スタイルと古い携帯電話=韓国(2)

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