【コラム】真夏の夜の夢?オリンピックの教訓は…(1)
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2012.08.14 11:59
夢のような日々が過ぎ去った。胸がいっぱいになり感謝する。私たちは久々にひとつになった。このようにうれしいながらも五輪中継を見る間中頭の中から離れなかった思いは、なぜ私たちは五輪の時だけひとつになるのかということだった。五輪が終われば私たちはまた別れ別れになるだろう。進歩と保守に、慶尚道(キョンサンド)と全羅道(チョンラド)に、若者と高齢者に、与と野で対立し争うことは確実だ。数カ月も残っていない大統領選挙は私たちの分裂をさらに深めさせるだろう。少しの間ひとつになるということは真夏の夜の夢だったのか。なぜ五輪の時だけ、ワールドカップの時だけひとつにならなければならないのか?
私たちの目がどこを見ているかが重要だ。私たちの目が外へ向かっている時、私たちはひとつになった。延坪島(ヨンピョンド)に、独島(トクト、日本名・竹島)に、そしてロンドンに私たちの目が向いている時、私たちはひとつになった。北朝鮮の脅威にさらされ、日本の強弁に怒りが爆発し、相手国選手と対決する時、私たちは同じチームに所属した一員であることを悟ることになる。相手集団の脅威から自分の集団を保護・維持することができなければその中にある個体は集団とともに消えてしまう。これは人類が長い間の歴史経験で悟った集団本能だ。別の一方で私たちは個体間に個別の利益を追求する利己的動物でもある。各個体は集団の中で生き残るために個人の利益を最大化しようと努める。その過程で競争と対立、そして分裂が起きる。私たちの目が中にだけ向いていればそのために殺伐となるだろう。この個人の本能は集団本能よりさらに本源的な本能だ。この2種類の本能の調和の有無によりひとつの国の興亡が決定されるのだ。