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【コラム】ジャンパーを着て死去した金正日(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2012.01.05 17:46
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錦繻山(クムスサン)記念宮殿に安置された金正日(キム・ジョンイル)総書記の姿はやや意外だった。 最大限の格式を整えて厳粛な雰囲気を演出したが、赤い布で覆われた遺体はいつものジャンパー姿だった。 「永遠に人民の胸の中に生きるために」遺体を永久保存処理までするのなら、少しでも謹厳な姿を見せるのが普通だが…。

許淡(ホ・ダム)著の『金正日偉人像』のうち「人民服とジャンパー服」という部分を読めば、少しは疑問が解けるかもしれない。 北朝鮮労働党秘書を務めた許淡は35年間、金父子に仕えた側近中の側近だった。

 
1987年4月、平壌(ピョンヤン)動物園を現地指導して出てきたところで、許淡が慎重に言葉をかけた。 「ジャンパーを着ていらっしゃいますが、世界的な趨勢のネクタイ・スーツを一度お試しになられてはいかがでしょうか」。金正日は大笑いした。 「私が世界的な流行を追ってどうするのですか。 世界が私たちを追わなければ」。許淡は会議場でも行事場所でも、ネクタイ・スーツを着用するよう繰り返し勧めた。 「人民が見たがっております」という言葉とともに。 すると金正日の本心が表れた。 「私は世間の人たちに見ろとジャンパーを着ています。 首領様が‘閉襟洋服’を着る心情でジャンパーを着ています」。‘閉襟洋服’とはボタンが6つ付いた人民服を指す。 抗日闘争時代に着た戦闘服の延長だといわれる。

「世間の人たちに見ろと着る」という言葉に‘金正日ファッション’の政治的コードが含まれている。 金正日のジャンパーは人民が汗を流して働くところなら、どんなに遠くても駆けつける指導者というイメージをつくり出す道具だったのだ。 抗日革命を繰り広げた金日成(キム・イルソン)に及ばないカリスマを、金正日は‘現地指導’という統治方式で補充した。


【コラム】ジャンパーを着て死去した金正日(2)

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