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「北朝鮮住民が統一を望むと話せるよう支援を」…東ドイツ最後の国防相に尋ねる

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2011.08.13 12:47
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東西冷戦の象徴だったベルリンの壁が建設されて50年目を迎えた。1961年に急造された壁は38年後の89年に崩壊し、翌年、ドイツ統一が実現した。しかしコンクリートカーテンは半世紀が過ぎた今も生きた歴史として残っている。

東ドイツ最後の政府で「軍縮および国防相」(90年4-10月)を務めたライナー・エッペルマン氏(Rainer Eppelmann、68)は壁の構築と崩壊を目撃した。エッペルマン氏は中央日報の電子メールインタビューで「ベルリンの壁は私たちに『独裁は絶対にいけない』という生きた教訓を与えている」と強調した。

 
在野牧師として東ドイツ共産独裁政権に抵抗する民主化革命にも加わったエッペルマン氏は韓半島統一についても助言した。エッペルマン氏は「何よりも北朝鮮の住民が統一を望むと話すべきだが、このためには韓国政府が北朝鮮にさらに近づくリーダーシップを発揮することが重要だ」と強調した。

東部ベルリンで生まれたエッペルマン氏は壁の設置で西ベルリンにある高校に通えなくなり、建築学徒の夢をあきらめた。66年の軍服務時代には執銃練習を拒否し、8カ月間服役した。その後、神学を勉強し、74年に牧師按手を受けた。統一後は4選下院議員として活動しながら、キリスト民主党(CDU)労働委員長に就いた。現在は「旧東ドイツ社会主義統一党独裁清算財団」の理事長を務めている。

以下はエッペルマン氏との一問一答。

--ベルリンの壁の建設から半世紀を迎える。

「いま私たちには『独裁は絶対にいけない』という教訓として残っている。しかし壁が造られた当時は非常に大きな挫折だった。すぐに数十万の離散家族が生じた。私も西ベルリンで通っていた建築学校での学業をあきらめなければならなかった」

--東ドイツは「ファシスト防止」という理由を掲げて壁を構築した。

「それは表面的な理由だ。実際には体制の崩壊に対する恐れが大きかった。壁を建設したのは東ドイツが自ら体制の終焉を告げたのも同然だ。東ドイツ人は人権を踏みにじられ、独裁体制に苦しむ‘道徳的死刑宣告’状態で暮らし、結局、独裁政権を倒した」

--「軍縮および国防相」在任当時に軍部解体を担当したが。

「大きな抵抗はなかった。90年に東ドイツ住民が投票を通して統一を望むという点を明らかにしたため、軍人は大勢に逆らえなかった。しかしすぐに失業者となる職業軍人が問題だった。採用博覧会を開催するなど幅広い分野で新しい職業に就けるよう支援した。退役する将軍には『法的処罰はない』という点を知らせた」

--南北(韓国・北朝鮮)統一に対する展望は。

「今の南北状況は明らかに90年の東西ドイツの時とは違う。しかし今は当時なかったものがある。インターネットとモバイル技術だ。アラブでそうだったように、北朝鮮でもモバイル革命を期待できる。一つ、前提がある。北朝鮮の多数の住民が統一を望むと話さなければならない。このため韓国政府がより積極的に動く必要がある。北朝鮮と関連したすべての機会をつかんで活用しなければならない」

ベルリンの壁=1961年8月13日に東ドイツが構築した長さ156キロの壁。旧東ドイツ地域内の西ドイツ領土である西ベルリンを囲んだ。89年に東ドイツの民主化過程で市民が壊した。翌年10月の統一当時、壁はほとんど壊され、302カ所の監視塔のうち3カ所だけ原形を維持した。ベルリン市は冷戦の歴史を再確認するため、この数年間にベルリンの壁を800メートルほど復元した。来年まで500メートルの壁が追加で建設される予定。

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