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【噴水台】ロビンフッド・ポピュリズム

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2011.06.27 17:37
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春秋時代、鄭の宰相・子産は川で足止めを食った民を見て、車に乗せて渡らせた。 これに孟子が叱った。 「恵み深いことだが、政治家のすることではない(恵而不知為政)」と。 政治家なら寸陰を惜しんで橋を架けることから考えるべきということだ。 根本的な解決ではなく、ポピュリズム的な対処への厳しい叱責だった。

記録上、西洋でポピュリズムが登場するのはローマ時代だ。 紀元前2世紀、護民官だったグラックス兄弟は市民に土地を分け与え、トウモロコシも安く売った。 改革のための支持確保という意味があった。 しかしローマ人は独裁者になろうとしているとして彼らを死刑にする。

 
こうした悲劇的な始まりにもかかわらず、ポピュリズムは時空を超えて広まった。 多くの人気迎合主義があるが、圧巻は1940・50年代アルゼンチンのフアン・ペロン元大統領夫妻の政策だ。 ペロンは国土の3分の1を没収し、庶民に分け与えた。 義賊を真似た「ロビンフッド・ポピュリズム」だった。 とんでもない政策も多かった。 地方分権を助けるとして、テレビ工場を首都から3000キロ離れた南極のそばに建設した。

妻のエバも負けていなかった。 ミュージカル「エビータ」の素材になるほど劇的な生活を送った彼女は「私は夫と国民を奉仕するために生きる女」として昼夜を問わず貧民に会った。 ハンセン病患者の傷を手でなでながら、患者にキスをした。 子宮がんで33歳で亡くなると、聖者にしようという要請が教皇庁に殺到したのも無理はない。 しかしエバはポピュリズムの化身という悪口も浴びた。 貧者を助けようとトラックにぎっしりとお金を積んで走り、ばらまいたからだ。

ポピュリズムはペロンの専有物ではない。 破格的な医療政策を繰り広げたタクシン元タイ首相、莫大な原油販売資金をばらまいたチャベス・ベネズエラ大統領もそうだ。 それでもアルゼンチン人は誰よりもばらまき政策に染まっている。 最近の10回の選挙で8回はペロン主義者が勝ったのもこのためだ。 現フェルナンデス政権も価格が安い内需用パン・牛肉を確保するとして、輸出税をかけて価格を統制している。 農民はマージンが少なくなった牧畜と小麦の裁培を放棄している。 農業天国アルゼンチンで牛肉・小麦が不足する状況だ。 デモをすればデモ隊に金品が握られる。 歪んだポピュリズムの端的な姿だ。

最近「半額大学授業料」「無償給食」などでポピュリズム論争が激しくなっている。 望ましい福祉政策か、ポピュリズム的なばらまきかは、冷静に考えるべきだ。 ただ、どちらにしてもアルゼンチンの前轍を踏まないように慎重にならなければならない。

南楨鎬(ナム・ジョンホ)国際選任記者

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