주요 기사 바로가기

【噴水台】北朝鮮の紳士遊覧団

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2011.04.04 18:04
0
後発走者が先頭を追いつこうとする場合によく使われるのがベンチマーキングだ。 18世紀まで未開の国として冷遇された帝政ロシアが立ち上がったのもベンチマーキングのおかげだった。 ロシアはピョートル大帝という啓蒙君主に会ってがらりと変わった。 彼は西欧ベンチマーキングが後進国脱出の近道だと信じ、1697年、250余人で構成された海外視察団を設けた。 このようにスタートした「大使節団」は1年半、オランダ・英国・ドイツ・オーストリアを回りながら西欧の文物に馴染んだ。 25歳だったピョートルも下人に偽装し、大使節団に入った。 2メートルを超える長身のため正体がばれたが、みずぼらしい大工に変装し、オランダ造船所で船を造ったりもした。 また英国議事堂を訪問し、会議の場面を見たりもした。 このように西欧の文物を一つひとつ目にした彼は、帰国後、大々的な改革を断行する。 政略結婚をなくし、ひげを剃らせたのもこうした一環だった。

日本も170余年後、海外視察団を派遣する。 日本に滞在中だったオランダ人宣教師がピョートルのように海外視察団を送ろうと建議し、受け入れられたのだ。 外務大臣の岩倉具視が引率し「岩倉使節団」と呼ばれたこのチームは、1871年から22カ月間、米国をはじめ、50余人が12カ国を回った。 韓半島侵略の主役の伊藤博文もメンバーだった。 これにどれほどの情熱を注いだのか、日本は予算の2%を旅費に使った。 韓国の今年の予算(309兆ウォン)規模に換算すると、6兆ウォン(4700億円)を使ったということだ。

 
韓国版海外視察団は1881年に日本に派遣された「紳士遊覧団」だ。 62人は正体を隠すため遊びにいく遊覧団だと名乗り、釜山までは暗行御史一行に偽装した。 また日本では数人ずつ分かれて民泊をした。 しかしすぐに気づいた日本当局は、高位職まで出して彼らを歓待し、多くのものを見せた。 このおかげで紳士遊覧団のメンバーは4カ月間にわたり日本全域を見回ってから帰国し、開化政策の先頭に立った。 最近は韓国文物を見たいというアジア・アフリカの海外視察団が集まり、世の中の変化を実感させる。

北朝鮮経済代表団12人が2週間、米国の資本主義を深く味わって、3日に帰国したという。彼らはウォールストリート、シリコンバレーにユニバーサルスタジオまで見回った。 有名だった海外視察団の共通点は、帰国後に大々的な改革が起きたということだ。 指導者の意志は重要だが、彼らが見て聞いたことが広がり、北朝鮮内に変化の薫風が吹くことを期待したい。

関連記事

最新記事

    もっと見る 0 / 0
    TOP