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【噴水台】戦死者の復活

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2010.11.02 14:50
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「帰ってきた死者」。 国軍捕虜出身の脱北者1号である趙昌浩(チョ・チャンホ)さん(2006年死亡)はこう呼ばれた。 彼は延世(ヨンセ)大1年に在学中だった1950年、韓国戦争(1950-53)が勃発すると、国軍に少尉として入隊し、翌年9月、江原道(カンウォンド)中部戦線で中共軍の捕虜となる。 休戦になったが、捕虜送還交渉に彼の名前はなかった。 生死も五里霧中だった。 77年に戦死者として処理された彼の位牌は国立墓地に祭られた。

そして17年が経過した94年10月、趙さんは死者から生きた人に‘復活’した。 64歳の白髪老人になった趙さんは鴨緑江(アムノッカン)から丸木舟に身を乗せてエクソダスを敢行した。 労働教化収容所と銅鉱山で数十年間強制労役に苦しんだが、自由と故郷に対する彼の渇求を抑え込むことはできなかった。 そして命をかけた険しい旅を経て韓国の地を踏んだ。 43年ぶりの帰郷だった。 当時、「砲兵少尉、趙昌浩、軍番号212966、無事に帰還したことを申告します」と述べながら国防部長官に挙手敬礼をした場面は、国民を感動させた。

 
戦争捕虜の複雑な心境は60年に発表された崔仁勲(チェ・インフン)の小説『広場』によく描写されている。 「同志はどこへ行くのか」。「中立国」。「大韓民国には自由があります。人間は…」「中立国」。主人公イ・ミョンジュンが南でも北でもない中立国を選択し、船を乗って行って自殺をする場面は、イデオロギー戦争に疲れた捕虜の情緒を象徴した。 それだけ趙さんの脱出は絶対にあきらめないという粘り強い勇気であったし、国軍捕虜に対する社会の関心を喚起させる事件だった。 その後70人以上の国軍捕虜が北朝鮮を脱出して韓国行きグループに合流し、生きて戻ってきた。

一昨日、金剛山(クムガンサン)離散家族再会行事で、死亡したと考えられていた4人の国軍捕虜が韓国の家族と熱い邂逅の涙を流した。 みんな国防部の兵籍記録簿に戦死者として処理された名前だ。 停戦協議当時、北朝鮮は国軍捕虜8343人を送還した。 韓国側が推算した8万8000人余の10分の1にすぎなかった。 「これ以上の戦争捕虜は存在しない」というのが今でも同じ北朝鮮の立場だ。 現在、北朝鮮に死亡者を除いた国軍捕虜500余人が生存しているとしても、氷山の一角にすぎない。いつまで北朝鮮の国軍捕虜を戦死者として顔を背けたまま、映画の中の「パピヨン」になることを傍観するのか。 「戦友を戦地に置いて来ない」という米国の信念に頭が下がる。

高大勲(コ・デフン)論説委員

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