【社説】歴史の「作用と反作用」を忘れた執権勢力
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2010.06.04 11:37
ハンナラ党が2004年4月の総選挙大敗以来、最大の危機にあった。当時ハンナラ党は盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領弾劾の向かい風を迎え、議会過半数を失った。その直後、心機一転し、復活の軌道に入り、再・補欠選で相次いで勝利したら 2006年の地方選挙では湖南を除いた全国を一気に処理した。ハンナラ党はいよいよ2008年に執権し、その年4月の総選挙では議会権力まで奪い返した。ハンナラ党の勢いはしかしここまでだった。
執権党になったハンナラ党は2008年夏、狂牛病ろうそく事態で倒れかけ、昨年4月と10月再・補欠選で連敗した。2度の選挙は津波が押し寄せてくるという信号だった。特に10月の選挙は李明博政権に対する首都圏の冷たい民心を示した。ここに忠清圏の世宗市の動揺まで重なって危機の暗雲は濃くなっていった。「執権党が首都圏で大きく敗れ、忠清圏を明け渡す」という見方が広がった。しかし危機の部分で執権勢力は一時的な麻酔剤に酔った。政権は40%を超す大統領支持率と天安艦安保事態雰囲気に楽観した。しかし大統領に対する好感度と国民の選挙民心は別のものだった。天安艦も大勢を阻むことはできなかった。結局6・2 地方選挙から津波は押し寄せ、ハンナラ党は地方権力の相当部分と核心教育権力を譲った。