【噴水台】紅楼夢
ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2010.05.07 17:58
赤壁賦で有名な蘇東坡が老年、郊外をぶらつく。そのときこれを知った老婆が歎息調で吐き出した言葉、「過ぎた日の富裕栄華は春の日の夢と同じだ」筆鋒を翻した東坡の顔に落ちた歳月の垢、悠々自適な歩きぶりに人生を見たのだろうか。宋代の侯鯖緑に由来したという「一場春夢」の一場面だ。
似ている話で唐の時代、李公佐が書いた「南柯太守伝」がある。淳于という人が酒に酔って眠りに入る。夢の中で槐安国に招待され、王女と結婚して南柯郡の太守になる。精一杯ぜいたくな暮らしをし、ふと目覚めたら夢だったと。南柯一夢だ。同じ時代、沈既済の「枕中記」も「一人之下万人之上」まで上がって壊れた邯鄲の盧生ストーリーを伝える。邯鄲之夢だ。皆、刹那のような世の中に、はかない人生をたとえた。長久の歳月というのも気付けば浅い眠りにつき、ご飯が蒸れる時間よりも短かったという話だ。これら夢物語の源流は荘子の胡蝶夢だ。蝶になって悠々と飛び回って、目覚めてみたら自分がいたと。蝶が自分の夢を見たのだろうか、自分が蝶の夢を見たのだろうか。荘子は現実と理想、此岸と彼岸の境界を越えて物我一体の境地を突き通した。東洋での夢は実存認識の傾向が強い。夢で悟りを得るのだ。