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【その時の今日】日本警察、生計のために道に出た「子供行商」取り締まりに

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2010.02.19 16:34
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子どもが「小さな人」ではなく「保護と養育」の対象という考えは18世紀中葉以後に芽生えた。19世紀初めには、世界一の国力を誇示したイギリスでさえ6、7歳になった子どもたちが鉱山で炭車を引いていた。先進国で幼少年の労働が禁止されたのも、小児科という専門分科が生じたのもすべて19世紀のことだった。だから子どもを、身体的にも精神的にも大人とは違う存在だと認識し始めてから、ようやく100年ほどたっただけだ。

 
我が国では子どもを「子ども」「児孩」または「童蒙」と呼んだが、「蒙」とは蔓草の一種で陰になる、暗いという意味を込めている。そのため愚かなことを蒙昧するといい、それを壊すことを啓蒙という。子供はただ知的に未熟な人であるだけで、肉体的には大人とあまり違わない待遇を受けた。10歳前後の男の子たちが牛にえさをやり、薪を集め、同じぐらいの年齢の女の子に洗濯をさせることは極めて当然のことだった。

1920年代から子どもという言葉ができて子どもを「未来の棟梁」として立派に育てようという社会的啓蒙が拡散したが、幼年労働は減らなかった。むしろ新しい働き口が家庭外で子どもの仕事を増やした。1931年統計によると30人以上を雇う工場労働者のうち15歳未満の子供の占める割合は8%に達した。青壮年たちが徴兵・徴用で連行された1940年代にその割合は20%まで増えた。

1934年2月10日、ソウル鐘路警察署の保安係主任の小坂は、通りで行商をする少年少女たちを取り締まると明らかにした。「8~9歳の子どもたちが商売人になってお菓子やキャラメルなどを無理やり買えというのは一般に不快な感情を与える上、少年保護と教養上、大きな問題だ。うわさでは、良いとされない家庭では、子どもたちを営業的に商売させ、その収入で大人たちが酒を買って飲むことまであるという。これは純粋な子どもたちの善良な童心を揺り動かすことで、また2世国民の教化問題でもとうてい黙過できないことだ」しかし生計のため道に出た子供たちをやたらにつかまえてくること以外に警察がすべきことはなかった。

韓国社会が後にも先にもない繁栄を謳歌している今日も、飢える子供が少なくなく「アルバイト」を探す青少年は数え切れないほど多い。幼い子が稼いできたアルバイト代でお酒を飲む親が今はいないということはないが、大概は貧乏によってさせられることだ。出産率を上げるためには、まず子の未来に対する心配から減らさなければならない。

チョン・ウヨン・ソウル大学病院・病院歴史カルチャーセンター研究教授

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