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【その時の今日】朝鮮総督府、景福宮の敷地を芝で覆い新庁舎建設

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2010.01.07 13:17
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1926年1月7日、南山(ナムサン)の麓にあった朝鮮(チョソン 1391~1910)総督府が、景福宮(キョンボックン)の前に建設した新庁舎に移転した。1915年の秋に朝鮮(チョソン)物産共進会が終わった直後、新しい庁舎を建てはじめて10年が過ぎた後だった。

 
帝国主義・日本は植民支配5周年を記念し、植民統治の成果を内外に広く知らせるという口実から、現在のエキスポに相当する朝鮮物産共進会を開催した。場所は景福宮と定めたが、このとき、すでに総督府の新庁舎を景福宮の前に建設する計画を確定した。朝鮮王朝の正宮だった景福宮が持つ象徴的かつ文化的意味を十分踏まえた決定だった。

総督府は景福宮を共進会場に改造、大半の殿閣を壊してしまい、その敷地の一部に臨時の建物を建てた。約50日にわたる共進会が終わった後、美術品の陣列館だけ博物館に転換し、残りの臨時建物はすべて壊した。総督府の新庁舎を建設する工事はその直後から開始された。残っていた康寧殿(カンニョンジョン)と交泰殿(キョテジョン)も1918年に昌徳宮(チャンドックン)の火災復旧工事という名目で壊された。

総督府は建物を壊した場所に「芝」を植えて、印を付けることを忘れなかった。芝は漢字で「莎草」(ハングルの発音で「サチョ」)と書く。長い間、韓国人は「サ」という文字から死(ハングルの発音で「サ」)と不吉を思い浮かべた。そこで4(ハングルの発音で死と同じ「サ」)を「F」に変えたエレベーターは無数にあり、3階の次を5階と表記した建物も少なくない。「莎草=サチョ」、つまり芝は死を象徴する草だったため、墓にだけ使い、人が起居する家の庭には植えなかった。

総督府の集計によると、朝鮮物産共進会を見学した人がおよそ160万人に上る。当時、韓国の人口の10%近くが同イベントに動員されたわけだが、それらが芝で覆われた景福宮の庭で何を連想したかを推測するのは難しくない。総督府は景福宮だけでなく、ソウルのすべての宮廷で、殿閣を壊した場所を芝で埋め尽くした。韓国人の脳裏に焼き付けられた芝と墓地の間の連想作用を用いて、かつての宮廷を「王朝の墓」と認識させようとしたことだ。

しかし、歳月が流れ、芝に墓地を結びつける連想作用は消え、芝と宮廷の関係についての印象ばかり強められたようだ。現在、韓国人の「芝」への愛は果てしない。半世紀前から家の庭に芝を植えるのが茶飯事だったが、近ごろは山には芝で覆われたゴルフ場まで設けられ、川沿いにも「砂」の代わりに「コウライシバ」が広がる。一世紀前の人が見たならば、国全体が墓地になったと嘆くことであろう。

ソウル大病院・病院歴史文化センター チョン・ウヨン研究教授


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